2013年12月27日金曜日

芸術表象論特講#16

こんにちは。あんなに色づいていた葉っぱもみかけなくなり、毎日、寒さと戦っています。
12月18日におこなわれました、「芸術表象論特講」16回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、陶芸家の井上雅之さんでした。




井上さんの学生時代の作品から現在の作品まで、作品のスライドを見ながらお話ししていただきました。

井上さんは陶芸家であり多摩美術大学工芸学科の教授でもありますが、はじめから陶芸ではなく、多摩美術大学の絵画科油画専攻に入学(その後、多摩美術大学大学院美術研究科を修了)しました。大学に入れば何か見つかると思い、とにかく絵画科に浪人して入学。入ったはいいものの、“何か”が見つからず悶々とした日々を過ごしていたそうです。
大学3年生のとき、別に実習費を払えば使わせてもらえる制度を利用して、中村錦平先生の陶芸講座でうつわなどの焼き物を作っていたそうです。
何となく美術ということで入学した絵画科だったが、モノを見て描くのは好きでもそうではないのはちょっと・・・。と思い、絵は卒業したら描かないだろうと考えていたそうです。そんな時に出会った、ろくろは、ぐるぐる回っている土に手を当てていると形が出来てくることからこれは、一生続けられると思ったそうです。ろくろで茶碗を作り続け、結局は4年生の時の卒業制作も器物型の作品を提出したそうです。

しかし大学院へ進学すると、自分が何も作っていないことに気がついたそうです。「何やってるんですか」と問われた時、茶碗を作っていると言ってしまえば、それ以上問われることはありません。そのために、自分でも何をしているのか自らにも問わず、感覚で創出したものを抽象化していたため、見てはいるけどやっていることが理解出来ていない状況になっていたといいます。

そのうち、制作したものにヒビが入ったり割れるのを見てその断面の放つ鋭い表情に目を奪われ、違う見方が出来ることを発見し、院生の2年間で150点も作ったそうです。
それまで、自分と作品との関係を見つけることをしていたが、自分以外の人と作品の関係を見つけることも大事だと思うようになったそうです。自分が面白いと思ったものは、人に見せていいんだということにも気がついてきたといいます。

学生の間に、井上さんが表現する方法として陶芸を用いるようになりましたが、実は絵画から陶芸に移るときに、「一段下がる」と勝手に思っていたそうです。井上さんの考えとしては、ルネサンス期からある美術のヒエラルキーとして、絵画(油画)を頂点とし、彫刻という階層があるので、陶芸は下の方だから、「一段下がる」ということを思ったといいます。そして、「伝統」という言葉も勝手に背中について来ているような気がしていたとも。さらにそのときは、彫刻の人とは一緒の土俵に上がることは出来ないのだともおっしゃっていました。しかし、それが思い違いだったことを後にさまざまなジャンルの作家と共に展覧会に出品することで分かったそうです。

それまで小さい作品を作っていましたが、大学院を修了してから作品が大きくなっていきます。大きさが変わっていくので、表面の着色も変わっていったそうです。

そうして作品を作り続け工夫を重ねていくうちに部品の組み合わせが多くなり、だんだんと煮詰まってくるようになり、また「自分のものは」と悶々とする時期があったそうです。

いっそのこと、手に負えないような大きさのものを作ってみようと思いつき、1つの大きなパーツをつくり、バラバラにして焼いてまた戻すという方法で作りはじめたそうです。今までやっていた方法から、違う方法を用いるのはとても大変なことです。

近年は、蜂の巣のような感じでブロックを積んでいくという手法を使い作品を制作しているそうです。これは1つのブロックを作って、また隣のブロックを作るという積み重ねをしながら造形しています。人がやっている行為が蓄積されていくと力になるとおっしゃっていました。また、構造を重視し、それまでは作品の形態が形の一部に見えたりしたが、最近はもっと完結したものを見せてもいいのではないかと思っているそうです。自由度が増すようにやっているといいます。それぞれのブロックは自分の手で撫でて作っている形なので、痕跡をわざと残すような仕事にしているそうです。1つひとつのブロックをつくる上で、素材(粘土)と形とのやり取りをおこない、それが蓄積されているので、見た人が面白いと言うのではないかと井上さんは考えているそうです。

井上さんの制作の基本は、自分が出来ることではどのようなことで、何が面白いかということであり、目の前にある自分が作れるもので何なのか。例えば粘土をブロック状にし蓄積していくように、この素材でどういうことができるのか、焼き物で何が出来るのかというのかというがきっかけになっているので、特定の具体物のモチーフがあるのではなく、形を探しながら形作っていくのだそうです。


学生時代の話から、現在の作品がどのように変化をたどってきたのか。井上さんにとって作品を作ること、それに向き合うことはどういうことなのか、そうしたことに少し触れられた気がしました。学生は、陶芸という手法を用いて作品を創造することが、井上さんにとって面白いことであることなのだと感じたのではないでしょうか。



井上さんの作品はここで見ることができます。



それでは。

2013年12月13日金曜日

授業紹介:井上ゼミ

こんにちは。いちょうの葉が落ちて、道を黄金色に染めています。
今回は、3年生の「芸術表象IDゼミ」の授業の様子を学生にレポートしてもらうことにしました。

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こんにちは。
124日に、井上文雄さんのゼミで河口遥さんをゲストにお迎えして授業がおこなわれました。その様子を榎本(芸術表象専攻3年)がお伝えします。

作家活動をおこなっている河口さんは、武蔵野美術大学近くにある「22:00画廊(じゅうじがろう)」のオーナーでもあります。今回は、その「22:00画廊」についてのエピソードを中心にお話ししていただきました。



授業の前にゼミの学生たちで河口さんをおもてなししたいと話し合っていたので、作家・田中功起さんの「コミューナル・ティー・ドリンク」(参加者で持ち寄った沢山のティーパッグをひとつのやかんに入れて飲むイベント)を模したお茶会をしました。




22:00画廊は、去年から始めたばかりの古民家を利用したアートスペースです。完全な現状復帰をおこなわないため、展覧会を開催する度に、作家・作品によって形を変えていく少し変わった画廊となっています。こうした運営形態について「家(画廊)に経験させること自体も、作家さんに楽しんでほしい」とおっしゃっていました。
また、河口さん自身は「個人史」と「身体性」に興味があり、そのことは制作にも関わっているといいます。形を変えていくという画廊への考え方と制作に共通点があるのだと興味深く感じました。

他にも、学生側から出た制作にまつわる沢山の疑問に対して、一緒に考え議論もしました。その中でも「制作するということは、自己満足な行為なのか?」というテーマが特に印象に残っています。これは、私も常に疑問に感じていることであり、「何のために制作しているのだろう」と思ってしまうことも多々あるのです。河口さんは「私は制作が自己満足な行為だとは思ったことがない」とおっしゃっていました。



お話を聞くだけではなく、多くのテーマを出し合い深く対話することができたため、あっという間に授業時間が過ぎていました。

22:00画廊」では現在も個展がおこなわれているので、私も足を運んでみたいと思います。


22:00画廊」についてはこちらをご覧下さい。



それでは。

2013年12月4日水曜日

芸術表象論特講#15

こんにちは。朝や夜がすごく寒く、日中は暖かいかな・・・と思いきや日陰になっているところは朝や夜と同じくらい寒いと感じています。
11月27日におこなわれました、「芸術表象論特講」15回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、美術家の原田裕規さんでした。



原田さんは、山口県で生まれ広島県で育ちました。16歳の頃から広島・東京を中心に作家活動を開始し、美術系コースのある高校へ進学。その後、武蔵野美術大学芸術文化学科へ進学し、在学中にインタビュー・アーカイヴサイト「Culture Power」の運営に携わります。大学卒業後は、東京藝術大学大学院修士課程先端表現専攻へ進学。今年より『美術手帖』に展覧会レビューや中原佑介連載などの執筆を始めました。現在は、大学院に在籍しながら、フリーランスの立場で展覧会の企画や自作の制作、執筆活動などをおこなっているそうです。

レクチャーでは、原田さんが編著され今年フィルムアート社から発行された『ラッセンとは何だったのか?』を中心にお話していただきました。

クリスチャン・リース・ラッセンは、色鮮やかな海やイルカをモチーフに描いた作風で知られる作品を発表しています。おそらく、誰しも一度は見たことがあると思います。
2012年、原田さんは共同企画として「ラッセン展」(CASHI)をおこないました。この展示では、「公募団体展」「インテリア・アート」「現代美術」といった3つの領域から作家を選び作品を展示したそうです。
地方に住んでいると、美術作品、特に現代美術を見る機会が都市部に住んでいる人よりもとても少ない。つまり、作品との出会い方に限りが出てしまうそうです。例えば、デパートなどの百貨店の8階にあるギャラリーで、草間弥生と天野喜孝と平山郁夫と奈良美の作品が並んでいるという状況で作品と出会うことになる。原田さんはそういう状況から、美術系の高校へ進学することで、次第に公募展の作家たちを知ってゆくようになったそうです。こうした体験を踏まえ、「美術」には大きく「公募団体展」「インテリア・アート」「現代美術」という3つの領域によって受容されているのではないかと考えたそうです。

可能な限り、ラッセンの作品をニュートラルに語ったとしても、むしろ、ニュートラルであればあるほど、語りそのものが現代美術文脈の評価とそして同時に現代美術批判というふうに転換する可能性もはらんでいる。言い換えれば、真にニュートラルな「作品分析あるいは研究」は本当に可能なのか、という疑問をラッセン本は投げ掛けています。ラッセンの場合、ニュートラルの語りであればあるほど、作品分析がいつの間にか「制度批判」にさらされる。ニュートラルになっていけば「作品分析」になり、パフォーマティブになれば「制度批判」になる。重要なのは、「作品分析」と「制度批判」の間にあるものではないか。作品を分析し、制度などの様々なものから切り離して作品だけを見るということは、ある意味、一側面からしか導きだすことしか出来ない。しかし、コンテクストの中で読み込んでゆくには不十分となる。もしかしたら、この中間に作品の価値らしきものがあるのではないか、こうしたことを「ラッセン展」では感じ取ったそうです。
求められる語り口は、ベタな視点から見て、いかにラッセンの作品が良いのかということと、メタな視点から見て、いかに彼が優れた制度批判者であるかを提示すること。この二つの全く違う語り口を接近させて行き、同時に一つの語りで二つのことを語るようにすることで、作品の価値について切り込んで行く方法になるのではないか。必ずしもラッセンだけではなく、このことは、他の作家にも当てはまることでもあります。そしてベタとメタの二つを融合させると、重なった領域がユーモアになる現象が起きる。二種類の価値が同居することで、ユーモラスに見えてしまう。それは、本気で語っているのかそれともネタで語っているのか、分からない状況に陥るということが、実は価値の探索に繋がっていくのではないか、ともおっしゃっていました。

「ラッセン展」と同じ位置として考えているという「心霊写真展」(22:00画廊)。この展示も昨年企画されました。見えないイメージは、人に対して影響を与えてしまう。また、優れた作品は時として作者を離れてしまうことがある。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》なんかがそうかもしれません。作品が事物として動きだし、人々に対して想像力え与える現象がしばしばある、そうしたことを踏まえ、展覧会では次の三つのポイントを設定したそうです。
一、作者が不在であること。
(心霊写真が作者の不在によって準備されているのではないかということから。)
二、優れた作品が作者の固有名詞を離れて、人々に影響を与える。
(心霊写真に作者が認められてしまった瞬間、それは心霊写真ではなくなるから。)
三、事物を投げかける視点と鑑賞する視点、両者の区別がつかないような展示にしている。
この展覧会から、ラッセンの作品から内面性が見えてこないことについて、繋がっていくのではないかと思ったそうです。


ラッセンの制作行程は謎に包まれているそうです。原田さんの推測では、おそらく現在ではデスクトップを使いデータ上で作業、それを出力して一部加筆するという方法なのではないか。そして、工房で集団によって製作されている可能性が極めて高いそうです。ラッセンがテキストを書いたりする環境がないようにし、作者と作品は遠ざけられているのではないかともおっしゃっていました。そして、ラッセンを認めるとか認めないとかいう問題の中核にある問題として、果たしてこのような作品が鑑賞の対象になりうるのでしょうか。

これまでラッセンの作品は、美術界の中では語られることはありませんでした。それは、上記したような問題をはらんでいたため、美術界では嫌われている存在だったからです。原田さんは、ラッセンの作品はどうも、嫌悪感を与える存在として捉えられるところがあると言います。そしてこのことは、美術家の中ザワヒデキが提示した「ヒロ・ヤマガタ問題」とも関係しています。

昨年度、大学を卒業され、その際に提出した卒業論文「アール・ローラン論――セザンヌ作品のダイアグラム分析をめぐって」についてもお話してくださいました。

原田さんは、芸術とは何か、美術とは何か、それだけではなく何が「良い表現/美術」でその「良い表現/美術」を決定するものは何か、その仕組みが気になるとおっしゃっていました。美術に関わっている全ての人が、このことについて一度は考えたことがあるのではないでしょうか。そして、その結論は果たしてあるのか・・・・。

24歳と若く、学生たちととても年が近い原田さん。これまで、誰も取り上げてこなかったラッセンを糸口に、アートとは何なのかということを、様々な視点からアプローチされている姿は、学生たちにとってリアリティがあり、刺激にもなったと思います。



レクチャーを聞いた学生、そして更に知りたい方はぜひ読んでみてください。



『ラッセンとは何だったのか? 消費アートを越えた「先」』(フィルムアート社)



それでは。