2014年2月5日水曜日

芸術表象論特講#19

こんにちは。今年も始まったばかりかと思いきや、もう1月が終わり、雪まで降って真冬のような寒さに困ります。
1月22日におこなわれました、「芸術表象論特講」19回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、アート・ディレクターの北川フラム先生(本学大学院客員教授)でした。



北川先生は、幼い頃より美術に興味があったというわけではなく、21歳のときにモネ、ボナール、村上華岳の作品を見て、絵を描きたいと思い一生懸命練習したそうです。同時にいろいろな作品も見る様になり、村上華岳、靉光、速水御舟の晩年の作品が良くないと思ったそうです。彼らは、日常的に生きていながら、自分が語るべきあるいは属しているところから浮いてしまっている。つまり社会に対してリアリティがなくなっていたのではないか、だから作品が良くないと思ったようです。
また、美術は教養ではあったが、楽しんでやるものではなかった。「好き」「嫌い」と言えないで、「分かる」「分からない」で話されていることが寂しいと思ったとおっしゃっていました。
美術というのが自分の日常の中で、または生きている実感の中で進んでいくもので、いろんな多くの人たちとつながりとの中でそれが進展してくといいな、と考えたそうです。美術が抱えている課題は、美術そのものではなく、日本社会の問題だと思っているとおっしゃっていました。

現在、2ヶ月に1回くらいのペースで『美術手帖』に、思想家とそのゆかりの地を尋ねる「足裏の記憶」というのを連載されています。次回は松本清張を予定しているとのことです。本当は井上ひさしか夏目漱石を予定していたそうですが、松本清張に対していくつか惹かれるところがあるそうです。
松本清張は、生涯700冊という膨大な書籍を残し、とにかく書き続けました。また、昭和40年代に創価学会の池田大作会長と日本共産党の宮本顕治委員長を引き合わせることをするなど、政治的な動きもしていたそうです。北川先生は、これらのことを含め、700冊の書籍を出すというすごさと、社会的な動きに対してもっとちゃんと見ないといけないと考えたといいます。
例えば、中世の時代の人たちは、現代の私たちよりも、もっと閉塞感をもっていたのではないか。紀貫之は、没落貴族でありながら障子絵の張り替えの仕事をしていた。そして律令制が向こうから来たというのに対し、日本の土着的なのを明らかにしようとして、「古今和歌集」をやった。さらに、紀貫之よりも絶望的で末端にいたのが鴨長明。建築の設計図を書き続け、絶望の中で建築家がどうしようとするのが「方丈記」なのだそうです。私たちが思っている以上に閉塞感を思っていた中世の人たちですが、彼らは膨大な作業をして残してきました。
松本清張にも、それが通ずるところがあるようです。絶望的だと思いながらも書かなければならないという意志がなければ、700冊も書けません。その根拠を見てみたいと思ったそうです。また、松本清張は41歳くらいの頃に、朝日新聞の懸賞小説で第3席になり、作家として活動してきました。それに至る数十年は、給仕や印刷工での版下作りなどの職業をしていました。こういうふうな形で生きてきた人たちが、美術をどう見てきたのかを考えたいと、思っているそうです。

美術が今どうなっているのか、この国はどうなっているのか、そいうことを押さえながらやらなければならない。単純な話ではあるが、美術は裸の王様なのではないかというところから出発しなければならない。それが美術をやっていきたいと思っている理由だそうです。そして、裸の王様でいるのではなく、私たちの美術はどこにあるのか、それをやっている私たちの社会はどうあるべきなのか、これを抜きにして美術を語ることはおそらく出来ないだろうともおっしゃっていました。

こうした考えが、大地の芸術祭などの活動へとつながっているのだそうです。

大地の芸術祭は、新潟県越後妻有を中心に展開されています。雪深い山間地で農業をしてきた人々ですが、都市の発展によって若者が流出。さらに貿易の犠牲となり農業を止めろと言われたり、挙げ句の果てにはその土地を捨てて街に出ろとまで言われてしまった。彼らはとどのつまりといった地域で、放出されてしまった人々を受け入れてきた場所でもあったはずなのに、こういう場所が捨てられようとしている現状があった。人間が捨てられようとしている、これでいいのだろうか、と考えたそうです。

また、大地の芸術祭は一カ所に作品があるのではなく、様々な場所で展示がおこなわれています。それには、最近の人たちが旅をしなくなったことに関係していると言います。昔は自分で調べて、自分の足で歩いて目的地まで行くということをしていたし、ちょっとした所に行くのも旅だった。しかし、今は便利になったので調べればすぐにいろんなことが出てきて、現地まで行かなくても分かるようになってしまいました。こうした不便を伴いながら、美術作品を見ることで、自分で調べて自分の足で歩いて知ることの大切さを、体験できるようになっているようです。


美術が人と違っていることが、唯一、許されることのできるジャンルであり、100人いたら100通りの美術がなければ、それは美術ではない。それには、分かっている者同士でやってはいけないと思っており、保守的で“あんなものだめだ”という人たちとこそ、いろいろやっていきたいと思っているそうです。また、空間が設定する場が大事であって、生活とつながる場所に作品(美術)がなければならない、ともおっしゃっていました。


今の私たちはインターネットなどの発達により、多くの情報を簡単に手に入れることが出来るようになりました。便利になり豊かになったと思いがちですが、その代わり人間として昔からあった大切な部分が失われつつあるのかもしれません。そうしたモノは、情報が集中する都市ではなく、もっと「厳しい場」、田舎やそうした地域から課題が見えてくるのかもしれない、そこで私たちは共通の物語を描かなくてはならないと北川先生はおっしゃいました。

北川先生と美術の関わりから、大地の芸術祭(いくつかの作品について紹介と解説もしてくださいました)、さらに人類の起源などにまでお話はおよびました。
「美術」という場所だけではなく、私たちが生きているこの場所と美術がどう結びついていけるか。当たり前ですが、少なからずその中にいると忘れてしまうそうしたことを、北川先生は力強くお話ししてくださいました。北川先生の活動から、学生たちはもっと大きな視野で考えることを感じ取ったのではないでしょうか。



今年度をもちまして、北川先生はご退職されることとなりました。2005年から今年度まで女子美で多くの学生たちに指導されました。今回のレクチャーは北川先生の最終講義となりました。そのため、他専攻の先生方や退職された先生、卒業生や修了生も駆けつけ、レクチャーの後に、大学院生からお花とプレゼントが渡されました。




また、最新刊『美術は地域をひらく:大地の芸術祭10の思想』を特別販売いたしました。購入者に対して、即席のサイン会も開催されました。



北川フラム先生、ありがとうございました。



その他にも北川先生の書籍がありますので、チェックしてみてください。
現代企画室

北川先生の活動に関してはこちら(大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭などもこちらからアクセスできます)
ART FRONT GALLERY





北川先生のレクチャーをもちまして、今年度の「芸術表象論特講」は終了致しました。

これから、3月には芸術表象専攻から初めての卒業生による展覧会への出品が控えております。
ひとつ前の記事に展覧会のことを書きましたので、チェックしてみてください。


それでは。