2014年5月22日木曜日

芸術表象論特講#4

こんにちは。暑い日が続くので、クローゼットにある衣類をとうとう衣替えしました。
5月14日におこなわれました、「芸術表象論特講」4回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、編集者・批評家である藤原ちからさんでした。



藤原さんは、小劇場の演劇を見て批評を書くことが多いそうです。
もともと演劇をしていたとかではなく、小説の書評などを扱うような出版社で編集者をしていました。そのうち、成り行きで若い演出家家の人たちから雑誌を作りたいと相談されて、現場に入っていくうちに、当時の20代の作家たちが既存の演劇批評の中でほとんど評価されていないことに気づきます。その状況はまずいのではないか、彼らの魅力を言葉にしなくては・・・。それが演劇批評を書くきっかけだったそうです。演劇といっても様々な種類がありますが、藤原さんは主に小さな劇場でおこなわれている若手作家の実験的・先鋭的な作品を観ることが多いそうです。

レクチャーでは、いくつかの演劇の映像を見せていただき、解説していただきました。
チェルフィッチュの「三月の5日間」は、第49回岸田國士戯曲賞受賞作品です。賞を獲っただけではなく、若い作り手たちに大きな影響を与えた作品でもあります。例えば、作家が書いたテキストの役を演じてその物語をみなさんの目の前で上演する、というのが演劇のオーソドックスなスタイル。しかし、チェルフィッチュは、言葉と体の動きがリンクせず、しゃべりながら役が変わっていき、1人1役という原則が崩れていく。発せられる言葉もだらだらした若者言葉を使っている。
チェルフィッチュの出現以後、その手法を真似したり、それを発展させようとする演劇が2000年代後半になるとシーンの中核を占めるようになりました。

柴幸男/ままごとの「反復かつ連続」は、一見すると1人芝居のようですが、音楽の編集ソフトに見られるような「トラック」の概念を使って演出しています。Act1でおこなったことを録音して、次のAct2のときに流し、またそれを重ねて録音してを繰り返す。最後のActで全体像がみえるようになる、そういった構造になっています。柴幸男さんは、構造的な発想を使った演出が得意らしく、音楽の概念を導入した新しい方法を次々と試していったそうです。

その他、範宙遊泳の「さよなら日本ー瞑想のまま眠りたいー」とQの「プール」を少し見せていただきました。

演劇は多くの場合、その空間にいかないと意味がありません。小劇場では80~100分くらいが上演時間の目安で、一度始まったら終わるまで、その場を出る事は難しくなります。海外ではつまらなければ外に出て行くお客さんがいるのがあたりまえだといいますが、日本ではほとんどの場合、我慢して最後まで観るケースがほとんどです。しかし、その場に行かないと見られないし、一定時間拘束される、という条件が演劇の面白さを生み出している面もあると藤原さんはおっしゃいました。例えば、美術のインスタレーションなどでは、いつでもすぐに立ち去ることができますが、演劇はそう簡単に立ち去ることができない。そこが面白いと思っていたそうです。ですが、最近は、劇場の中で生まれる演劇の強度も魅力的ではあるけれど、劇場という場所に囚われないで、演劇の力をもって街の中に繰り出していくことにも興味があるとも、おっしゃいました。

最近は、横浜の黄金町内にできた「演劇センターF」の立ち上げに参加されているそうです。
この演劇センターFは、「であう/まざる/めぐる演劇」を掲げて4月にオープンしました。一般的に持たれている演劇のイメージに対して、演劇はそれだけではないですよと、その可能性をひろげていくような活動をされているそうです。

藤原さんは京急電鉄の黄金町駅の少し先に住んでいます。このあたりから、東京のアート文化圏の影響力が消えるのではないかと思っているそうです。その先になにがあるかというと、金沢八景、横須賀、逗子、などのある三浦半島が存在します。三浦半島が持っている土地の力やそこに生きている人たちの生活文化に興味があるのだともおっしゃいました。

黄金町あたりから、東京のアート文化圏と、三浦半島にある一種の土着的なものが拮抗している気がしているそうです。仮にアートが三浦半島と戦っても負けるだろうと・・・。でも、戦って破れて負けるというのはドン・キ・ホーテ的ではあるけれど、そうした失敗や敗北には意味があるはずだと思うそうです。現代演劇が演出の方法論において発展・更新していった結果、失敗を恐れるような状況が生まれてしまっているのではないか。演劇に限らず、創作においては、自分がコントロール不可能なものとぶつかってチャレンジすることで得られるものはきっとあるはずだとおっしゃっていました。


レクチャーでは、藤原さんと杉田先生が途中で学生の中に混じって座りトークをしたり、芸術表象専攻の授業を担当している良知暁先生と井上文雄先生にも、途中から2人のトークに参加してもらいました。

▲左から、井上先生・杉田先生・藤原さん・良知先生

「演劇の世界/美術の世界」と線を引くのではなく、創造する、表現することは同じです。藤原さんがご紹介してくださった若い劇団は、学生たちからしたら少し上の年代かもしれませんが、決して遠い存在ではないと思います。これまで見たことのあった学生も、見たことのなかった学生も、演劇を体験してみたら新しい何かが得られるかもしれません。

演劇センターFは当初からの約束によって、6月いっぱいで現在の場所から退去して、同じ黄金町の中の新しい拠点へと移るそうです。点々と、様々なところに出現しうるようなモビリティのある拠点をつくりたいのだとおっしゃっていました。ぜひ訪ねてみてください。


BricolaQ(藤原さんが主宰するラボラトリー&メディア)

演劇センターF

『演劇最強論』

blanClass×演劇センターF共同企画による遊歩演劇、BricolaQ「演劇クエスト・京急文月編」が7月におこなわれます。詳しいことは、こちらのサイトで(blanClass)



それでは。

2014年5月19日月曜日

芸術表象論特講#3

こんにちは。スギ花粉は終わったみたいですが、なにやら鼻や目がかゆい日々です。
4月30日におこなわれました、「芸術表象論特講」3回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、イ・ハヌルさん、竹中愛咲子さん、髙橋夏菜さんの3人でした。

▲左から髙橋さん、竹中さん、ハヌルさん

この3人は、学生のときにキュレーションをおこなったという共通点があります。レクチャーでは、それぞれのキュレーションについてお話いていただきました。

髙橋夏菜さんは、今年の3月に女子美術大学大学院を修了されました。
2012年にトーキョーワンダーサイト本郷にて開催された、「TOC [toasters city / country / cosmos]」をキュレーションしました。これは、トーキョーワンダーサイト(以下、ワンダーサイト)の第7回企画公募展に応募して、選考の結果「奨励賞(キュレーション・ゼミ選出)」を授賞し開催された展覧会です。
ワンダーサイトは、東京都が主催しているアートセンターです。展覧会の企画を志している若手への支援・育成を目的とし、展覧会を企画そのものを公募するプログラムが「展覧会企画公募」です。審査の結果選出された企画は、ワンダーサイトが支援し、本郷にて展覧会を実施する機会を与えられます。髙橋さんが応募した第7回は、「キュレーションとは何か?」というのがテーマだったそうです。
髙橋さんは、当時女子美の学生だった市村香織さんからキュレーションをしてもらえないかと話をもちかけられたそうです。この時点で、髙橋さん自身はキュレーションをしたことはなかったそうですが、市村さんの話を聞いて受けようと思ったといいます。
最初にワンダーサイトへ書類を作成したとき、「非日常性」をテーマにしていました。ワンダーサイトは以前は教育庁の庁舎や、職業訓練所として使われていました。今はアートを発信していく場所になってはいますが、社会に向けてより平均的なものを身につけていく職業訓練所があったということが建物からしたら、現在は非日常的なことなのではないか、と考えました。そこで、場所の「非日常性」とアーティストの「非日常性」を組み合わせた企画を提出しました。
二次面接の際に、この企画が実現不可能であるけれど、公募展と付随しておこなわれていたキュレーションゼミに参加していた髙橋さんは、そこで規模を縮めてやってみないかと言われ、実現することになったそうです。
展覧会では、成果物やアイデアスケッチ、メール、企画書などを出力し、それを壁に貼り出すことにより時間の蓄積などを表現しました。
結果として、展覧会はプロセスが強くなり、アーティストが考えていたことや髙橋さん自身が考えていたことが、積み重なってきたことよりも弱かったということを表すことになったといいます。キュレーターとアーティストの関係性を考えるうえで、こういう見せ方もありなのではないか、公募展のテーマの答えの1つでもあるのではないかと思う、とおっしゃっていました。

イ・ハヌルさんは、韓国のソウル出身です。京都造形大学大学院でキュレーターを目指して、これまで様々な展覧会の企画に関わってこられました。
高校までは韓国画(日本でいう日本画的な)を専攻し、その後アメリカへ留学してファッションの勉強をしていたといいます。改めて今後について考えた時、昔からやってきていた蓄積のあるアートに関わりたいと思い、アートで自分は何が出来るかと考えていたときにキュレーションを知り、それを学んでみようと思ったそうです。しかし正直、何がキュレーションであってキュレーターになるにはどうしたらいいのか分からなかったので、とりあえず自分がいる場所で自分が出来ること、展示を少しずつやっていこうと思ったそうです。大学1年生のときに、大学でおこなわれていた名和晃平さんのプロジェクトに1年間参加。アーティストの現場を近くで見るという体験をし、その後もいろいろな展覧会に関わっていったそうです。
今回のレクチャーでは、昨年におこなわれた展覧会のキュレーションについてお話ししていただきました。
京都のアーティストを支援する施設HAPS(東山アーティスツ・プレスメント・サービス)で、昨年展覧会をおこないました。ここでは、インディペント・キュレーターの遠藤水城さんがディレクターをつとめており、HAPSのオフィスは古い町屋をリノベーションして使っています。1階はオルタナティブ・スペース、2階はオフィスとなっています。それまで面識のなかった遠藤さんに、昨年の春ごろに呼ばれ、キュレーター養成を目的とした1年間の企画をしたいと言われ、ハヌルさんともう1人の人が選ばれて、2人で1年間の企画をまわすことになったとのことです。与えられた期間は4ヶ月間。ハヌルさんは1ヶ月に1人の小さな個展を企画しました。
4年間京都に住み、様々な展覧会も見て、ここで出会えた若手のアーティストの中で、学校を卒業したばかりである若手アーティストを、自分のフィルターを通してプレゼンできたらいいなと思ったそうです。それと、HAPSのギャラリーがショーウインドウのような状態(ギャラリー内に入れない)で展示する特殊な場所ということもあり、作品を美術館やギャラリーのホワイトキューブで展示するのとは異なる、少し特殊な条件を活かして実験的な展示を試みたいというのも考えていたそうです。アーティストにも、今まで実現できなかったプランやこの場所でやりたいことをやってくださいというふうにしました。
ハヌルさんは、作品はどこからどこまでかという疑問があるとおっしゃいました。アーティストが作りたいなとアイデアが浮かんだ瞬間からなのか、それともそれが形として表れて作品になったときなのか・・・。そこから、作品プロセスはどう制作されているのか、作品を作っていくうえで、アーティスト自身が考えていること、こうしたことを何らかの形にして発信できたらいいなと思い、アーティストたちのインタビューをおこないました。ただ、テキストだけでインタビューを発信するのは知名度があまりない若手アーティストには力がなく、面白くないと思い映像をミニクリップにして、YouTubeで流したりしたそうです。
HAPSでの展示をおこなっているうちに、キュレーターとしては出展作家たちの今までの作品もちゃんとし見せてみたいという願望が湧いてきたといいます。そこで、所属している大学のギャラリーであるARTZONEからオファーがあったので、HAPSの展示を発展させた展覧会を企画しました。HAPSでの展示では若手アーティストの今を象徴する作家の作品からみられる共通性という意味合いから「非線形」というテーマを決めていましたが、「非線形」というのがあまりにも無機質的すぎてわかりにくいということで、ARTZONEにての展覧会では、HAPSでの企画テーマと延長線上にあって、コンセプトが伝わりやすい「What's next?」というタイトルにしたそうです。これはHAPSで展示したアーティストのグループ展となりました。
展覧会では、各作家ごとに2つの映像を見せたそうです。1つは、アトリエで作家の制作風景。もう1つはHAPSの展示後に新作を制作したので、そのこととかについてのインタビューだったそうです。
ハヌルさんは、作品を作る立場の人と、キュレーションをする人はあまりかわらないとおっしゃっていました。何かを作り上げていく、作り手がいろいろ素材とかで実験や発表する場を通してチャレンジしているのと同じように、展覧会という素材でいろいろ実験しているような感じなのだそうです。

竹中愛咲子さんは今年、愛知県立芸術大学から大阪大学大学院へ進学されました。
レクチャーでは、昨年おこなった「売れる絵(仮)展」についてお話してくださいました。この展示は竹中さんが、学生たちに売れる絵というものを考えてもらうきっかけとして企画したそうです。アーティストとして活動していくうえで避けては通れない「売れる絵」(作家の表現発想が目的であり、いかなる地域や時代でも商品としての価値、アーティストの個性や芸術品としての価値が両立するもの)を、制作の狙いを変えることなく売るためには、どのようなことを考えなくてはいけないのかを意識して制作してもらい、実際にギャラリーで販売しようというものでした。普段考えない要素を考慮し制作してみることにより、学生の中でどのような心情の変化、絵画への意識の変化があるかを観察し、視点を変え制作してみる意義を考えることを目的としていました。
竹中さんはコレクターもされており、学生が作品を売るということに関心があったそうです。展示は、学内にあるスペースだと学校側にけんかを売るような感じになってしまうため、外のギャラリーでおこなわれました。会場となったギャラリーから、何かないかと話を持ちかけられたのもきっかけのようです。
アーティスト募集は、ホームページとFacebookで呼びかけし、説明会を3回実施した後、コンセプトを理解した人に参加してもらいました。
参加アーティストは11名、来場者は約800名、購入は3点あったそうです。
参加アーティストに対しておこなったアンケートや会場に置いていた感想ノート、情報を発信したTwitterでは、いろいろな反応が見られました。そこから、値段の付け方の難しさや、売れていく絵とそうでない絵の違いなどが見えたといいます。
竹中さんは、学生がキュレーションすることの意味とは、制作側の学生も企画側の学生も共に成長していくことができ、アーティストとキュレーターという異なる立場ではなく、学生として意見交換が可能だとおっしゃっていました。

最後は、杉田先生からの質問などに3人が答えていく形式となりました。


学生時代にキュレーションをしていた、という人は少ないかもしれません。そもそもキュレーションするとはどういうことなのでしょうか。作品を制作しただけでは、ただの自己満足になってしまいます。外にむけて発信していく、そのときにどのようにして発信するか。それを考えるのがキュレーションなのかもしれません。


髙橋さんの展覧会はこちら

ハヌルさんの展覧会はこちら

竹中さんの展覧会はこちら

それでは。

2014年5月16日金曜日

芸術表象論特講#2

こんにちは。肌寒い日が続いていたと思いきや暑くなったりして、体調管理が心配です。
4月23日におこなわれました、「芸術表象論特講」2回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、アーティストのサエボーグさんでした。



サエボーグさんは、本学の卒業生です。第17回岡本太郎現代芸術賞(以下、TARO賞)の岡本敏子賞を授賞されました。会場には、作品の一部であるゴムで出来たぶたさん(サエポーク)と一緒に来てくださいました。

サエさんは、杉田先生が本学へ赴任されて1年目のときの学生だったそうです。絵画科洋画専攻の出身ですが、杉田先生にはずいぶんとお世話になったとか・・・。
今回は、このTARO賞をはじめ、サエさんの学生時代のお話、もちろん作品についても、いろいろとお話をしていただきました。

TARO賞に出品した作品は、《Slaughterhouse-9》というラバー(ゴム)で作った農園です。そこには、三つ編みの女の子、豚、羊、鶏などがいます。彼らは、肉をとられ、毛を刈られ、卵を産みます。彼らに対しておこなう行為は、私たちが生きるためにされる行為ですが、それはとても残酷だと思ってしまいます。家畜というのをテーマにしたのは、虐げられているもの、弱い存在のものを題材にしたいと思い、いくつか出た中の1つを今回は作品にしたそうです。このことを、ラバーで再現するパフォーマンスをサエさんはおこないました。レクチャーでは、実際のパフォーマンス映像を見せてくださいました。
パフォーマンスをした場所は、とてもいい場所だったそうですが、撮影しにくかったようです。照明もいじりたかったが、お金がかかるので出来なかったとおっしゃっていました。

なによりも、出品されている全てのラバーを作るのに、5年かかっているのと、莫大な費用がかかっているようです。TARO賞に応募したのも、賞金目当てだったとか。とにかく、作品制作にはお金がかかるようです。

では、なぜサエさんはラバーを使用した着ぐるみを作っているのか。
サエさんは、自分自身の見た目や、生物学的に女性という性別に限定されているのが耐え難く苦痛であり、“女だから”や“女子”、“女の子”といった枠組みにはめられていることが嫌なんだそうです。そして、生々しく、人間ぽいものが苦手で、人間の形も嫌い。自分が人間であることとか、女性であることとか、いろんなコンプレックスから脱却するために、ラバーを着ているそうです。
ラバーは人工的であるところがいいのと、自分の第二の皮膚だと思っているところがあり、着用することで性別や年齢、人間であることさえも超越した存在になることが出来ると思っているとのことです。
ラバーの着ぐるみは既製品ではなくサエさんによる手作りであり、サエさんのサイズに合わせて作られています。なので、着ぐるみを着用する際には、サエさんに似た体型でないと入らないとの事です。

制作費をどうやって捻出するか。そして生活費もどうやって稼ぐのか。そのため、賞の名誉よりも、単純に頑張って1位(岡本太郎賞)の賞金が欲しかったということと、確実に賞金をとるために、いかに2位と差をつけて1位をとるかということしか考えてなかったそうです。(ちなみに、2位は1位の半額の賞金でした)

そのため、これまで自分が正しいと思っていることをやってきたら失敗ばかりしてしまっていたので、今回は自分を信じないことにし、最初の審査に提出するポートフォリオを杉田先生に見てもらったそうです。そうしたら、ポートフォリオを全て直すようにと言われてしまったそうです。

サエさんは女子美に入学するまでに3浪しています。1・2年生の頃、課題は浪人中にさんざん描いていたのを提出して、ほとんど学校へ来ていなかったそうです。3年生になったとき、単位がまずい事に気がついて必死に授業を受けたそうです。なので、今でも単位を落とす夢を見るとか・・・。
では、学校へ来ていなかったときは何をしていたかというと、美術の本を読んだり、展覧会へ行ったりして勉強していたそうです。また、「デパートメントH」という広義の意味でのセクシャルマイノリティの人たちが集まるイベントでスタッフをしていたそうです。そこでは、ラバー(ゴム)を着て遊んでいたのですが、これが美術とつながるとは思っていなかったとのことでした。

ラバーの着ぐるみでのパフォーマンスは、美術とは別物として活動していたそうです。それが、卒業してから参加した杉田先生主催の展示でおこなわれたトークショーで話をしているときに、気がついたことがありました。サエさん自身にとっては、ジャンルは違っていても表現としては同じであり、ファインアートの世界でもやってもいいのだということ。
そうなれば、美術の方でもちゃんと発表しないと・・・と思ったけれど、発表できる場所がすぐにある訳ではありませんでした。なので「デパートメントH」でパフォーマンスをしていたようです。

現在も、「デパートメントH」にて「大ゴム祭」というのを年1回おこなっています。これはサエさんが企画などすべて担当されているそうです。全国から呼び寄せたゴム人間(ラバーフェチと呼ばれる人たち、思い思いのラバーを着こなしてきます)の紹介、Kurageさんのファッションショー、サエさんのパフォーマンスの3部構成で開催されています。
Kurageさんは、サエさんがお世話になっている池袋にショップを構えるラバーブランドです。分からない事があると、Kurageさんに相談することが多いそうですが、プロにタダで聞く発想が嫌なため、まずは自分でやって失敗に失敗を繰り返してから、プロの所に行って技を盗む。それか、「こういうことをやってみたけど、出来なかったのですが、あなたならどうしますか?」と尋ねて、いい案が返ってきたらそれを採用する方法もとっているそうです。サエさんは自分で着ぐるみを作るので、結局はプロが出来ても自分が出来なければ意味がないし、分からなかった所が解決するわけではありませんので。

TARO賞を授賞してから、アートの業界で認知してもらえるようになり、より沢山の人達に観て貰えるようになったそうです。特に、批評してくれるようになったことが良かったとおっしゃっていました。なぜなら、それまでは、ラバーの着ぐるみとかを見ても、「かわいい」としか言ってもらえなかったからだそうです。

▲学生からの質問に答えるサエボーグさん


サエさんが使用しているラバーの世界はとても深く、驚きました。また、サエさん自身の制作に対する姿勢や発表する行動力、美術に対する向き合い方との葛藤は、学生にとって励みにもなり目標となると思います。

フランスとドイツによるテレビ局の番組で、サエさんの個展を中心としたドキュメンタリーが放送されたそうです。日本にとどまらない活躍が期待されます。今後のサエさんの活動に注目です。


サエボーグさんのブログはこちら
岡本太郎現代芸術賞に関してはこちら


それでは。

2014年5月12日月曜日

芸術表象論特講#1

こんにちは。すでに5月になり、新入生が少しずつ学校生活になれてきているようです。遅れましたが、今年度もよろしくお願い致します。
早速ですが、416日におこなわれました、「芸術表象論特講」1回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、美術史家のミカエル・リュケンさん(フランス国立東洋言語文化大学日本語学部教授)でした。
41920日に日仏会館で開催された「日仏翻訳交流の過去・現在・未来」のパネリストとして出席するために来日されたリュケンさん。ジュネーブで生まれ、パリで教育を受け、フランス語・英語・日本語を巧みに話されます。レクチャーでは、「化け物絵としての『麗子像』」というテーマで、お話してくださいました。



麗子像といえば日本では近代美術の書籍をはじめ、社会の教科書にも掲載されており、誰でも一度は見たことのある絵画作品だと思います。今回は、この麗子像の作者である岸田劉生の関心ごとと、麗子像についてお話してくださいました。
画家としての岸田劉生は、麗子像をはじめ、《道路と土手と塀(切通之写生)》といった作品が有名かと思います。しかし、劉生には「お化けの夢」(1923年)や「ばけものばなし」(1924年)といった、化け物についての論文を残していました。また文章だけではなく、化け物絵のようなものも描いていたそうです。東京国立近代美術館のコレクションには、《ばけものづくし》(1925年)といったシリーズの絵も所蔵されているそうです。なので、劉生は画家としても評論家としても、化け物という課題に対してとても関心をもっていたそうです。
 明治時代、東洋大学創立者である井上円了が、妖怪と超常現象の意味を根本的に変えました。井上が言う「妖怪学」の目標というのは、あらゆる進歩や現象を実証主義的に解明することではありませんでした。井上にとって妖怪は、神話及び伝説または化け物絵に限った文化的なモチーフだけではなく、幻覚、遺伝などの人間のよくわからない現象や心を乱す全ての要素を補完するために妖怪という言葉を使用していたといいます。つまり、妖怪は一種の想像であり、頭の中に浮かんでいる漠然としたイメージでした。しかし、このイメージというのは井上の考えによると良くないものなので、頭から出さなくてはならない。そのために、理論と理想への意志以外には他の方法はありませんでした。文明開化は理性主義と同じと考えていた井上には、美術も理性に従わなければならない分野として、想像力や本能に対して無理に刺激を与え続けるものではないという考えがありました。
心を満たすイメージを完全に忘れる、井上の考えでは美術は「失念術」のひとつでありました。
その美術に対する見方を根本的に変えたのは、白樺派(19101923年まで刊行されていた文芸雑誌『白樺』を中心として活動していた作家たちや思想)の若い作家たちでした。その中でも、柳宗悦が19113月の『白樺』に発表したルノアールの論文(「ルノアールとその一派」)から、柳の美術の理想を考察しました。また、柳は『白樺』に「新しき科学」という論文も掲載しました。ここでは、心霊の物理的現象や幽霊屋敷など奇妙な話を詳しく紹介しました。超常現象を前にして、井上は奥の奥にある心理を求めましたが、柳は科学にも美術にも大自然の心の新しい消失を求めました。柳には、目の限界を超えて妙な力に働かせた世界があり、妖怪がうごめく世界があるという、無意識の中の意識があったようです。
では岸田劉生はどうだったのか、「ばけものばなし」から考察してみました。劉生にとって化け物とは、明治時代の啓蒙主義の影響で単に絵画的モチーフであり、美術とイメージの本質を考え直すための良い材料になるのではという意識があったのではないかと思われるそうです。
「ばけものばなし」からは、劉生は化け物が人間の神秘的要求、死に対する恐怖本能から生まれる精神的な要素であることを前提としたうえで、化け物はどう表現されてきたかという課題に集中し、その存在自体の是非を問うことはしませんでした。化け物というと、変身したりゆるゆると形が変わったりする、形がきちんと定まってない、無形態なモノを指して、普段そう呼ばれているものと全く違う様相のもとに表れることもあります。化け物は化け物みたいなものだけではなく、どこにでも宿っているものであり、これが劉生たちが再発見した重要なポイントとなります。
化け物に関心があった岸田劉生の代表的な絵画作品、麗子像。これは約12年に渡り自身の娘である麗子をモデルに制作された、70点ほどにおよぶシリーズ作品です。よく見かける麗子像といえば、東京国立近代美術館所蔵の《麗子微笑(青果持テル)》(1921)だと思います。このシリーズの最初は、写実的な《麗子肖像(麗子五歳之像)》(1918)かと思っていましたが、リュケンさんは、麗子が生まれる4ヶ月前に妻の蓁の妊婦の姿を写したものが最初の作品として見てもいいのではないかとおっしゃいました。ここに描かれているのは、生れつつある新しい命の印、すなわち想像の母体だと言います。その作品の延長として見た麗子像は、この世の無情の表象のようなものに過ぎないのではないかと思われるともおっしゃっていました。
麗子像は、タイトルに彼女の年齢が記されているものもあり、シリーズの全体を通せば、自然的、生物的時間とそれに対立する人間的、記念碑的時間というふたつの力が働いているということが言え、ひとつ一つの絵は流れる時間に対する抵抗の形として、すなわち時間を定めよう、形を整理しようという意志の表現となります。そして、いくつもある麗子像から彼女のイメージをひとつにするということは、困難なことでもあります。なぜなら、全ての肖像は近似度がかなり高く、画家がモデルから離れようとした試行錯誤の結果、全てが同じ印象を与えることはなく、可愛らしかったり、怖かったり、怪しかったりと、いろいろな姿で存在します。この表現を日本美術史家の辻惟雄は、もののけの仕業としか思えないと言ったそうです。
この麗子像の特徴は、モデル自身の変化にあるとゆえます。最初の作品から最後の肖像にかけて、麗子は幼女から女性へと変化しています。それゆえにこの作品は、ある女の子の全成長過程を記録したものとも言えるのです。
リュケンさんは、麗子像の美は、現在の日本の美術家に影響を与えていると、奈良美智や川島小鳥をあげていました。そして、幽霊的なものは意味がきちんと定義されたものではなく、それぞれの時代に依って変わっていく定まらない感覚であり、名前のある化け物や妖怪はすでに化け物や妖怪ではなく枯れてしまっているものだと結論づけていました。

レクチャーのあとに北澤憲昭先生と対談し、講演に対して太田泰人先生からコメントもいただきました。




岸田劉生の麗子像の新たな見方として、劉生が関心を持っていた化け物や妖怪の話はとても新鮮でした。また当時、井上円了という人物は幽霊や妖怪について真剣に研究していたということは新たな発見であったと思います。
リュケンさんのレクチャーから、研究する姿勢を学生たちは感じ取れていたのではないかと思います。

リュケンさんの20世紀の日本美術について論考した書籍がありますので、ぜひ読んでみてください。

20世紀の日本美術—同化と差異の軌跡』


それでは。