2014年6月30日月曜日

芸術表象論特講#8

こんにちは。学校に住んでいるツバメの子どもが、ときどき巣から顔を出してこっちを見てます。
6月11日におこなわれました、「芸術表象論特講」8回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、編集者の今野裕一さんでした。



今野さんは、1978年に創立したペヨトル工房から『夜想』という雑誌を発行していました。ペヨトル工房は2000年に解散し、そのときに出版も休止しました。2003年にparabolica-bisから『夜想yaso』を復刊しました。現在も雑誌や書籍の刊行と、併設しているギャラリースペースでの企画展示などをおこなっています。

レクチャーでは『夜想』を中心に、今野さんのこれまでの活動についてお話していただきました。

『夜想』の始まりは、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグという小説家の奥さんで画家のボナ・ティベルテッリ・デ・ピシスが、日本の画廊で展覧会をするというので、特集を組んだ雑誌を作ったことなんだそうです。雑誌には番号を振っていないのは、続けるつもりが無かったからで、雑誌の格好をしたものを作ったら面白いかな・・・と思ったからとか。
雑誌を作り始めた頃、家庭教師をしてお金を稼いでいたという今野さん。雑誌を作るのに当時では150万ほどかかるところを、現金で持ち合わせていたというのは驚きです。雑誌は5000部作り、1年くらいで3500部を売り上げたため、お金が戻ってきた。そこから、どんどん自分がやりたかったことをやってみようと思い、ベルメールの特集、夢野久作、アルトーと進みます。

雑誌には、おまけとして人形をつけたり、カセットテープが付いている“カセットブック”を販売したり、寺山修司をプロデュースしてアルトーの演劇を作ったり、死体の写真を掲載したりと、当時としてはとても変わった雑誌だったようです。

『夜想』のバックナンバーは新しいクリエイター予備軍が読んでいたけれど、2000年くらいになったときに、そういうことがなくなって、『夜想』が古くなったのかどうかわからないけれど、読まれなくなったので今野さんはいったん雑誌の刊行を止めました。
そんなある日、新宿を歩いているとゴスロリの女の子たちが歩いているのに出くわします。彼女たちは当時あったマルイ館へ入っていきました。何をしているのか、演劇みたいだと思い見に行くと、お茶会をしていたそうです。その子たちが「ゴスロリ」と呼ばれる子たちだと教えてもらい、その後にいろいろ調べてみると、そういう格好してビジュアル系バンド(当時はMALICE MIZERとか)を見に行ってたりしていることがわかった。「ゴスロリ」の格好をしているけれど、このこたちはバンドとかの方に行っていて、『夜想』とかは読まないな・・・と思ったそうです。それでは、彼女たちが読むような雑誌を作ればいいのではないかと思い、復刊第1号はゴスを特集しました。「ゴス」「ゴシック」と言っているが、今の子は「ゴシック」を知らないのではないか、ちゃんと教えてあげなくてはという思いがあったそうです。でもそれは間違っていて「ゴス」と「ゴシック」はかなり異なっていました。今言っている「ロリータ」も、昔の「ロリータ」と関係しているような顔をしていて、実際には関係がなく、ファッショナブルは派生なのではないかとおっしゃいました。「ゴス」はそれで新しい文化がはじまっていて、「ゴシック」というのも一応は入っているけれど、「ゴシック」から繋がっていない「ゴス」というのも両方あえて作ったとのことでした。

もうひとつ、人形の特集も多く手がけているそうです。
ハンス・ベルメール(1902-1975、ドイツ)という球体関節人形を広めるきっかけになった作家がいます。現在の球体関節人形の作家たちに聞くと、ベルメールの影響を受けて作りましたという人が多いというけれど、ベルメールの著書を読んでいるのかと聞くとそうでもない。ベルメールの特集を『夜想』で組んでいるので、それを読んでいる人もいるけれど、本当にベルメールと球体関節人形は日本に影響を与えていて、それを受けて作家たちは作っているのかなと疑問に思ったそうです。そこで雑誌を使って調べてみたら、実際にベルメールを研究したり書籍を読んだりして制作している人はいなかったことがわかったのだそうです。
雑誌では、ベルメールはこうで、今はこうなっていますという提示だけではなく、みんなベルメールから影響を受けているというけれど、そうでもないのではないかと、作家へ喚起するようにしているそうです。

今野さんはこれまで、さまざまなことをしてきました。
アーティストの森村泰昌さんとは付き合いが長く、2年くらいパーフォーマンスの演出担当をされていたそうです。その他に、歌舞伎のプロデュースやモダンダンスの演出、勅使川原三郎のツアーサポートもしたことがあるそうです。

現在は、雑誌の制作の他にギャラリーの運営もされています。
雑誌もギャラリーも、インディペンデントとして運営していて誰の助けもなくやっているため、売って稼いではそのお金で運営を回す・・・ということをしているそうです。ギャラリーは5つの部屋に分かれており、正月休みを除けば、ほぼ無休状態で動かしています。月に5本の企画を12ヶ月おこなうと年間で60本の展覧会をしなくてはならず、ものすごく大変。けれど、変な話ですが今まで生きていて、今が一番仕事をしている感じがすると、今野さんはおっしゃっていました。

今野さんは、半分好奇心だけで生きているから『夜想』がどうなていくかプランを立てている訳ではなく、そのときの興味とかでやっているのだとおっしゃっていました。しかし、2003年から10年はサブカル的なシリーズを特集し、『夜想』も2003年以降はリニューアルをしており、死ぬまでにまた好きなことをしようかなとは思っているそうです。
雑誌を最初に作ったとき、作家の為になる雑誌を作ろうと思った。それは、批評家の人たちがああだこうだと言って作家が反論する場がなく言われっぱなしになっているので、反論できる雑誌があれば良いのにと思っていたからで、作家が自分の主張も含めて出来るような場所を作れたら面白いだろうと思っていたそうです。

あくまでも作家よりだとおっしゃっていた今野さん。その時代時代を汲み取りながら、現在はどうなのかと問い続ける姿勢が、雑誌などの活動に活かされているのではないでしょうか。まずは、今まで読んだことがあった学生もそうではなかった学生も、『夜想』を読んでみることで、またはギャラリーを尋ねてみることで、世界が広がっていくのではないでしょうか。


『夜想』やギャラリーの情報はこちら


それでは。

芸術表象論特講#7

こんにちは。天気が不安定で、気持ちも晴れないのが続いて・・・。
6月4日におこなわれました、「芸術表象論特講」7回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、アーティストの飯山由貴さんでした。



飯山さんは本学の出身です。洋画専攻を卒業後、東京藝術大学大学院油画に進学、昨年修了されました。

2009年頃から、インターネットオークションでスクラップブックを購入し、それとの関わりから作品を作っています。すでにこの世にはいない、スクラップブックの作者の痕跡を追いかけるような、あるいは会ったことのないその作者と、ゆるい連隊を勝手に結び、しばらく生活するような感覚で制作をしているそうです。

スクラップブックとの出会いは、大学3年生の頃に偶然、古書市で1冊の古いスクラップブックを見つけたことがきっかけなんだそうです。以後、卒業制作に使用したりと集め続けて作品にしています。集め続けるには、他にも理由があります。飯山さんの家族は、幻聴や幻覚を見るそうです。彼女が昔に、マンガの「ワンピース」の架空のキャラクターになりきって、ルフィたちと冒険を繰り広げるという様子を見たとき、強いショックがあったそうです。そういった症状を持つ人は、昔だと豊臣秀吉や天皇になるという妄想が多かったけれど、今はそういう物語の妄想をする人は少なくなってきているらしい。時代に合わせて、妄想のディティールが変わってきていることが、奇妙であけれど、なんだか納得する。人間の精神は、神秘的で不可侵なイメージがあるけれど、本当はその人が生きている社会の状況や文化的影響をかなり受けていて、非常に可塑的で柔らかいものではないかと思うようになったそうです。そして、それを覗き見ることができるものがスクラップブックかもしれないと考えるようになったとのことです。

主に、昨年おこなった展覧会についてお話していただきました。

「湯気 けむり 恩賜」というタイトルでおこなわれた飯山さんの個展は、JIKKAというオルタナティブスペースで2013年の9月に開催されました。
タイトルにある「恩賜」とは、天皇や主君から物を賜る(貰うの謙譲語です)ことをいい、日本にしかない言葉であり、皇室関係で使用されます。
この展覧会のきっかけになったのは、学部の4年生のときに購入したスクラップブックに、後の昭和天皇になる皇太子や貞明皇后(大正天皇后)の新聞写真がスクラップされていたことなのだそうです。特に貞明皇后について調べてみると、ハンセン病に深い関わりを持った人物だったことがわかりました。

ハンセン病は、昔「らい(癩)病」と呼ばれていましたが、偏見や差別を生むとして「ハンセン病」と呼ぶようになりました。ハンセン病の原因は「らい菌」と呼ばれる細菌です。皮膚と末梢神経に影響が出るようです。そのため、痛みや温度感覚などの低下があるために、気づかないうちにケガをしたり火傷をしていることがあります。運動障害を伴うこともあるため、診断や治療が遅れると、主に指・手・足などに知覚マヒや変形をきたすことがあるようです。
日本では、1907年に「癩予防に関する件」という法律を制定、療養所に入所させて一般社会から隔離しました。このことで、ハンセン病は感染力が強いという間違った考えが広がり、偏見を大きくしたとされています。1931年に「癩予防法」を成立させ、強制隔離によるハンセン病絶滅政策という考えのもとに、在宅の患者も療養所へ強制的に入所させました。
ハンセン病は感染して発病することはほとんど稀であり、遺伝もしません。こうした過った政策が我が国では、長らくおこなわれてきました。
貞明皇后はハンセン病患者の支援をし、1931年に皇后の下賜金をもとに「癩予防協会」が設立されています。救済された患者もいますが、強制隔離が正当化されてしまったということや、一連の活動が皇后の真意に関わらず彼女の作った歌や、後に述べる物語がプロパガンダとして政治に利用されたという面もありました。

展示タイトルにある「湯気」は、奈良の法華寺にある「浴室(からふろ)」(現代で言えばスチームサウナ)から出る湯気です。これは光明皇后(聖武天皇の皇后)が建立したとされ、皇后がハンセン病患者の垢をこすった(または膿を口で吸い取った)ところ、その患者は仏であったという奇跡が起きたとされる伝説があります。このお寺では、毎年1回、健康やご利益ということから、浴室の体験をおこなっており、飯山さんも体験し、この浴室の湯気の映像を撮影してきたそうです。

また、「けむり」という言葉は、ハンセン病資料館で聞いたり語り部の方が話した言葉に由来していて、会場には「けむり」と「湯気」の二つの映像が並べられて展示されたそうです。

飯山さんはハンセン病患者の世界を小説や短歌の創作が盛んであるとも話しました。展覧会をきっかけに、ハンセン病患者が書いた小説を、執筆者をよく知っている方と共に読書する活動を知ったそうです。ハンセン病からの回復者の方たちが社会で生活していらっしゃいますが、日本で、新しくこの病気にかかる可能性はほとんどないとのことです。そうなると、この国でのこの病気の終わりには、その病気を経験した人たちが作った、たくさんの小説や手記、歌、詩などの制作物が残されることになるのではないか。これはとても豊なことですが、それをどう引継いでいくのか考えなくてはならないのでは、と感じているそうです。

ハンセン病の療養所へ長い期間足を運んだわけではなく、ほんの一瞬触れただけだったが、それを例に話すと、世の中にはなかなか入り込めないコミュニティがまだ他にもあり、それを外側から眺めることで発見することや失われたことが見えてくることもある、一般には忘れられた関係もあるのではないかと思っているそうです。研究や調査では聞き取りを複数して提示しなければならないし、沢山の人に聞き取り調査をすると、一人ひとりの顔や名前、人格みたいのが薄まって大きな調査になってしまう。こうしたアートという形態は、作家の思い込みや失敗も含め、ノイズの入り込む余地があり、調査報告とはまた全然違う形で提示することが出来るのではないかと飯山さんはおっしゃっていました。

1931年の「癩予防法」に関連するSPレコードと蓄音機を実際に持ってきていただきました。展覧会では来場者が来ると、このレコードを蓄音機で鳴らしていたそうです。


また、こういった制作にトライする人が増えて欲しいともおっしゃっていました。
飯山さんは、学生の頃に絵を描くことをしていたけれど、自分が描きたい絵は誰かが描いてくれているからと思い絵ではない制作をしようと思った。アートをやる面白さや意味は、自分の感情や自分の中で解決できない問題を、外側から考えることが出来る手段であるのかもしれない、例えばそれはこの場合ハンセン病であって、この国の制度や形作られた何か排他的なものが物語られている。

もうひとつ、今制作している作品のお話もしていただきました。
飯山さんの家族には、幻聴や幻覚がみえるため、病院にかかっている人がいて、調子が悪くなると話しかけたりしてもリアクションせず、ぼーっとしていたり、そのままどこかへふらっと行ってしまうことがあるそうです。
去年の冬に「自分の本当の家を探しに行く」と言って出て行こうとしたところを、引き止めていたそうですが、そのとき、いつも聞き流していた彼女の言葉が、大切なことを語っている気がして、症状が安定しているときに、実際に二人で本当の家を探しに行ってみたそうです。その記録をつくる過程で、いままで本人が家族や医者に隠していた、いま何が見えていたり聞こえているのかを話してくれたそうです。彼女が見ている世界について話してもらうと、普段は気がつかない願望や生活している感覚が、今までよりもわかった気がしたそうです。 
冒頭に出たワンピースの話からは、約10年くらい経っているのですが、今は幻聴や幻覚があるときはムーミンが声をかけてくれたり、ムーミンたちと海の神さまに会いに行ったり、難破船に遊びに行ったりしているそうです。今度おこなう展覧会では、彼女が見ている世界を再現したいと、おっしゃっていました。

これまでは、彼女の心や身体の中で何が起きているのかわからなかったけれど、歩み寄っていくと、もっと心をあかしてくれたというか、何が見えるか教えてくれるようになった。幻覚や幻聴が聞こえることの負担を、本人はときどき抱えきれなくなり、時にはこの世からいなくなることを考えさせるそうです。でも、ムーミンといるときのように、それによってやすらぎを得ることもあるらしいです。何が聞こえているかを知り、それを一緒にやってみることによって考えてみる・・・最近はそういうことをしているそうです。

1冊のスクラップブックからどんどん広がって、それをアートという方法で見せる。普通に調査して研究した成果とは違った視点の見せ方を、飯山さんは追求されているようです。そして、これからは自身の家族について向き合っている。このことはまったく違ったことのように思えますが、俯瞰してみたときに、つながりをみせるかもしれません。
飯山さんの次の作品が楽しみです。


飯山さんのHPはこちら。展示の様子も少し載っています。

それでは。


※ハンセン病はについては、国立感染症研究所感染症情報センターHPと厚生労働省のHPを参考にしています。

2014年6月10日火曜日

芸術表象論特講#6

こんにちは。まだ夏前なのに、半袖のTシャツだけで充分な日が多いなと思っています。
5月28日におこなわれました、「芸術表象論特講」6回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、アーティストの飯嶋桃代さんでした。



飯嶋さんは、本学の出身です。立体アート学科を卒業後に修士課程を経て博士課程立体芸術研究分野を修了されました。現在は、立体アート専攻の助手をされています。

飯嶋さんは、2014年5月24日(土)から始まった「パランセプストー重ね書きされた記憶 Palimpsest-Overwritten Memories」に出品されています。この展覧会は、glleryαM(武蔵野美術大学が所有するスペース)で開催されている企画展示です。本学教授の北澤憲昭先生が3回、宮城県美術館総括研究員の和田浩一さんが4回と分けてアーティストの展示を企画しています。その第1回目の展示が飯嶋さんです。

飯嶋さんは、日常生活と制作を切り離さないで活動されているとおっしゃいました。そして、家族の中で生成される記憶に興味があるそうです。家族は、そこで育まれた記憶によって家族という形を持つのではないか。だから、例えば自分が持っていない記憶があったとしても、それは家族によって補うことが出来るのではないか、と考えているとのことです。
また、衣服は人の体を包むものであって、記憶が染み付きやすい物質だと思うともおっしゃていました。飯嶋さんの制作は、大きくこの2点を中心にしておこなわれています。

レクチャーでは、展覧会に出品されている作品を中心にお話していただきました。

まず、家の形をした作品《開封のイエ》についてです。
“イエ”シリーズと呼ばれるこの作品は、まさしく“イエ”の形をしています。パラフィンワックス(ろうそくの原料)を溶かして箱に流し込み、そこに食器や古着、靴などを入れて、ある程度固まったら“イエ”の形に切り出しています。はじめから“イエ”の形にはせずに、あえてそこから“イエ”の形に切り出す行為には、抑圧という暴力性を切断という暴力的な手法で越えていこうとする考えがあるそうです。
“イエ”には、家族を保護する役割があります。鍵をかけて戸締まりすることで、安全な場所と化し、建物という物理的なもので外部のものから守ります。家族という人そのものも、精神的な安定という面で守っていると言えますが、そこには同時に抑圧的な部分(例えば親からの監視など)というのも存在しています。こうしたことを、自然による脅威(例えば台風とか)が全てを無にしてしまうような力で、家族というイデオロギーを越えていこうとされているともおっしゃっていました。
はじめから、古着などを固めて“イエ”を切り出すという方法をしていたのではなく、シリコンの型にパラフィンワックスで家の形に固めて、同じものを量産する作品を作っていたそうです。それは、飯嶋さんが幼い頃、住んでいる地域に建て売り住宅が一斉に作られたという体験からきているとも、おっしゃっていました。
最初の頃には、“イエ”という形を制作していましたが、それから家のあり方よりも内部、家族の記憶の集積体としてのことに関心が移っていき、そこから古着や食器を入れ込んで作っていくスタイルになったそうです。

これまでは、パラフィンワックスを使用した立体作品を制作していましたが、ここからは布やボタンといった素材へ移行していきます。いわゆる彫刻作品は、その場所に自立して置くことができます。しかし、布という素材は、吊ったり貼ったりしなければ自立出来ません。こうした自立の難しい素材に挑戦していきます。

《colorful stars in the white sky》は、壁一面に均等にボタンがついており、そこには、あたかも中身があるかのような厚みを持った、人の形をした布がくっついています。その布を広げると、均等に並べてあるボタン全てをとめることのできるボタンホールが存在しているそうです。半立体になっている中身のない人の形をした布は、このボタンとボタンホールを組み合わせています。
そもそも飯嶋さんのおばあ様が洋裁をしており、小瓶にボタンを入れていたそうです。それを何か作品に出来ないかと考えたところから出発しているとのことです。
半立体的にさせ、人の形にしているのには、影や幽霊といったイメージがあるそうです。幽霊は記憶によってこの世に取り残されているもので、その人を完全に忘れてしまえばそれはなくなる。しかし、生きている人たちがときどき記憶を思い起こすことで、立ち上がってくるものなのではないか、とおっしゃっていました。
また、服というのは人の記憶が染込みやすいもので、それを着ていた人を想起することができるものです。そして、ボタンは鉄を溶接するような強固な接着ではなく、いつでも簡単に引っ掛けるだけでとめられます。人を服の中に閉じ込めたり外に出すということを、スイッチする役割をボタンは持っているのではないかと、いうことでした。

mob-a ghost of clothes》は、服についているタグを使った作品です。タグは、大体どの服にもついています(そしてそれは、首のあたりにあります)。それだけを集めて細かい糸で縫い合わせてシャツにして、本来は中に隠れているタグが前面に出るようにしてあります。着るということの意味合いや、本当に保護をしているのかというのを問う、アイロニカルな作品になっています。

《format》シリーズは、毛皮のコートを使用した作品です。毛皮のコートをパーツごとに分解し、フェイクファーの布にその分解した毛皮のコートを縫い合わせます。コートの型を回転させて切り出し、またコートの形に構成します。このコートをパーツごとに分解して、フェイクファーの布に縫い合わせて・・・・・・を繰り返していきます。そうすることで、コートの端に前のフェイクファーが残っていきますが、繰り返すうちにオール100%のフェイクファーのコートへと仕上がります。
自分で決めたルールに従って構成と解体を繰り返していくうちに、コートの質が100%入れ替わってしまいます。
実際にこれまでの展示では、出来上がった作品を写真にしてみたり、液晶でみせたりしてきたそうです。最近では、プロジェクターの電源を落としてしまうと何もなくなってしまうような、その感覚が、“記憶がない”という怖さを表している気がしているとおっしゃっていました。

一般的な大きな流れの関心が大きな文脈だとしたら、飯嶋さんの作品でいえば“イエ”の記憶であるとしたとき、そこに漂う集約されないもの、雑味やよどみといったものを、意識は出来ないけれど人の心に突き刺してくれるようならありがたいし、そう願うような気持ちで制作されているとおっしゃっていました。


アーティストとして活動していますが、大学で働いているので、学生たちにとっては身近なために現実的なのではないでしょうか。
glleryαMでの展示は、6月21日までですので、ぜひ、会場へ足を運んでみてください。



αMプロジェクト2014 「パランプセストー重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き」
vol.1 飯嶋桃代
会期:2014年5月24日(土)~6月21日(土)
時間:11時~19時(日・月・祝日休み)
会場:gallery αM
※vol.2以降や詳細に関してはHPでご確認ください



それでは。

2014年6月6日金曜日

新入生歓迎会

こんにちは。雨が強く降ったりするので、ちょっとした移動でも濡れてしまって困ります。
先日、芸術表象専攻と芸術文化専攻で新入生歓迎会をおこないました。

芸術文化専攻は、今年度からはじまった専攻です。
今回は、芸術表象専攻の2年生と大学院生によって企画されました。その様子をちょっとだけですが、紹介したいと思います。

▲こんな感じで、テーブルを囲んでワイワイ

▲会場になった場所は、実はこんなところです。少し丘っぽくなっています

▲料理のテーマは「ベジタリアン」
野菜料理が並びました

▲グリーンカレーも学生が作ってくれました
とてもおいしかったです

なかなか学年を越えて交流する機会がないので、こういうのをすると、自専攻にいる学生を知ることが出来ます。また芸術文化専攻の学生も、なかなか芸術表象専攻の学生と交流する機会がありませんので、とても良い機会になったのではないでしょうか。

所属している大学院生たちや先生方も来てくださり、とても盛り上がりました。

この会を企画してくれた2年生と大学院生はお疲れさまでした。この機会が、次に活かされると良いなと思います。

それでは。

芸術表象論特講#5

こんにちは。研究室へはいるとむぁっと暑いので、ちょっと困ってます。
5月21日におこなわれました、「芸術表象論特講」5回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、デザイナーの山田麗音さんでした。



山田さんの「麗音」は「れのん」と呼びます。れのん・・・レノン・・・そうです、あの伝説のグループのメンバーのひとりからきているそうです。

山田さんは、京都造形芸術大学情報デザイン学科を卒業されています。杉田先生が、京都造形芸術大学で非常勤講師をされていた頃、先生の夏期講習の授業を受講し、現代美術を知ったそうです。
山田さんが当時在籍していた情報デザイン学科のコースには、現代美術、写真、アニメーション、コミュニケーションデザインなど全般を扱っており、アカデミックなタイポグラフィーの授業もあれば、当時流行っていたようなアートをする学生もいたそうです。つまり、自然と現代美術に関わっていく環境は備わっていた。そのため、現在の活動に決定的な影響を与えたのは、現代美術だとおっしゃいました。そのきっかけをくれたのは、杉田先生であり、先生の授業を聞いてとてもわかりやすく、現代美術に驚きを持ったのだそうです。
2007年、大学在学中にコンセプチュアルデザイングループ「BACADESIGN」を設立しました。BACADESIGNは、メンバーが確定せず、来た仕事によってプロフェッショナルを集めておこなうグループです。
与えられた問題そのものが最終的な形を決定していく、当たり前のデザイン。デザイナーは固有のスタイル、味や癖、その人の色を持ち出すとそれで仕事をしたくなっていくものです。それで良いものが出来たりすると、今度はそれを見て新しい依頼が発生したりします。自分の技で仕事ができるようになれば、きっと幸せです。ただその反面そこから抜け出しにくくなるため、そうしたジレンマみたいなのがあるらしいです。山田さんはいわゆるデザイナーのスタイルではなく、もらった企画や問題がどういう形になっていくのかということをやって、社会の中で展開していくことを目的にしていきたいとおっしゃっていました。
山田さんの活動としては、普段は企業のグラフィックとかを中心にやっている一方で、少し実験的なデザイン、今で言う非営利デザインとかクリティカルデザインと言われるような活動で、展覧会やイベントをしたりキュレーションをしたりしているそうです。

これまで山田さんがおこなってきた展覧会の活動を見せていただきました。

公的な場所で作品を発表できる、ということで参加したグループ展示「世界展」(京都市美術館、2008)。ここでは、《Free Right》という作品を出品されたそうです。この作品は、高さが90センチの展示台に家にあるような電気のスイッチが置いてあり、そのスイッチを押すと展示室の照明がついたり消えたりするものでした。この作品を設置するとき、最初に美術館へ相談をしたら、できないと断られてしまったそうです。美術館は権威的な場所なので、前例のないことはなるべくしないで欲しいという考えがあります。そこで山田さんは、スイッチを電気に直結させず、展示台からコードを引いて美術館の配電室につなげました。その先はラジオにつながっていて、スイッチがONになったときはラジオから「サー」って音がして照明が消える。OFFになったら照明がつく、という単純な仕組みに変えました。山田さんは、展示期間中の2週間、朝の9時から夕方の5時まで美術館の配電室に籠もり、ラジオの「サー」って音がしたら展示室の照明を(6つの固いレバーを降ろして)消していたそうです。
タイトルの「ライト」は照明という意味ではなく、権利という意味で使用したかったのでわざと「R
」がつく「Right」にし、鑑賞者に対し自由に権利を与えるという意味なのだそうです。

上述した展示を面白がってもらえたため、1ヶ月後に企画展に誘われます。
それが、「\POP/展 -ばんざいにっぽん-」(京都造形芸術大学 GALLERY RAKU2008)でした。ここでは、《Ready》という作品を出品しています。この作品は、展示期間中の毎日12時になると、ピザ屋の店員が展示台の上に注文したピザを配達するというものでした。アートの領域ではない日常のシステムとか仕組みの中で、普通におこなわれていることをアートの空間に持って来るとどうなるのかを見てみたかった、ということからできたものなのだそうです。
タイトルは、日常英会話的に言えば「どうぞ」を意味し、山田さんはピザをピザとして展示台の上に出して、みんながおなかがすく時間帯に来た人にピザを振る舞うので、あれは作品ではないそうです。ただのピザだけど、それが美術空間というギャラリーにしかも展示台の上に置かれたとき、このピザは食べられるが食べられることはない、という副題的なテーマをつけていたそうです。しかし、初日に来た女子高生の団体に全て食べられたとか・・・。
最終日、出品作家のコンタクトゴンゾのパフォーマンスがおこなわれ、山田さんの展示台が吹っ飛ばされて定位置からずれてしまった。そこに、配達に訪れた店員さんが、展示台がないことに狼狽して、そぉーっとピザを置いて帰っていったそうです。

卒業してからおこなった「CHANCE GUIDE」(MADIA SHOP、2010)は、本のセレクトショップであるMADIA SHOPからの依頼ででおこなった展示です。ギャラリースペースもありますが、MADIA SHOPとしての歴史や経緯などを聞きギャラリースペースではなく、あえて本屋の方で展示をおこなったとのことです。このスペースは、あらゆる情報と出会える場所にしたいというメッセージから始まっていることと、ショップの名前がメディアを売るというのから、これを率直に形にしたらどうなるかという発想があるそうです。
実際には、ショップ内にある全ての本に、白いブックカバーをかけることをしました。通常、本の背表紙にある情報(タイトル・著者名など)や本屋によっては棚を分類しているのでそこから欲しい本を探したり、たどり着いたりするものです。しかし、それをすべて白い紙で覆ってしまう。お客さんは見た目ではわからないので、まるでおみくじをするかのように選び、その本と出会うことになる。ショップはあらゆる情報と出会う場所としているのだから、このやり方もありだと思ったと山田さんはおっしゃっていました。

次第にキュレーションにも携わっていくようになります。
PARASITISM寄生の美学」(VOX SQUARE、2012)は、山田さんの知り合いに呼びかけておこなわれた展示です。
寄生という言葉が持っている力やイメージを美しいと捉えることができるか、ということで展覧会のタイトルがつけられました。それだけではなく、世代的な問題も捉えたいということから、SNSやFacebook、Twitterで記事をシェアしたり、リツイートすることは、誰かのメッセージに寄生して自分もメッセージがありますよという表現だったりするのではないか。また、震災以後、国の力とかに頼りながら生きて行くことをネガティブに捉えるのではなく、むしろポジティブにとらえられないか。寄生という言葉そのものもポジティブに捉えられることはできないか、ということも考えていたそうです。
この展覧会の宣伝媒体は、チラシやDMではなく、ステッカーにしたそうです。ステッカーには、「同時期開催」と記されており、このステッカーをその時に開催されている他の展覧会のチラシやポスターに貼付けることが出来るようにしていました。つまり、他の展覧会に“寄生"するということでしょうか・・・。このステッカーのことで出品作家たちは議論になったそうです。良いと思った作家もいれば、人が作ったものに対して害する行為は出来ないと拒む作家もいたそうですが、山田さんとしては広報物に対して作家がこれだけ関わってくる対話が出来たことが、何よりもやってよかったかなと思ったそうです。

「PARASITISM寄生の美学」の展示を見た、インディペント・キュレーターの遠藤水城さんから、HAPSでキュレーションをしないかと声をかけられます。実は、4月30日にレクチャーをしてくださったイ・ハヌルさんがおっしゃっていたHAPSでのキュレーター養成を目的とした1年間の企画の時に、ハヌルさんともう1人選ばれたのが山田さんでした。(HAPSについては、前々号のブログ(芸術表象論特講#3)のハヌルさんの部分に書いています。)
山田さんは遠藤さんから、「税金を使ってアートを人に見せることについて考えて欲しい」と「実験的でコンセプチュアルであって欲しい」というお題を出されたそうです。しかし、なかなか2つのお題をつなげることが難しい中で、「公私混同のかたち」という展示をおこないました。

あまりセルフワークをおこなわないという山田さん。1つだけやったものがあるそうです。それが、《時計を計る/time counter》(2011)です。「計る」というのには、1.数、量を数える、2.推測する、予測する、3.だます、という意味があり、この3つを叶えた時計が本当の時計ではないかという発想からきているそうです。実際に持ってきていただきました。

                                     ▲ photo : atsushi sugita

▲授業の前に、実際に教室の壁にかけておきました。
短針が秒、長針が時間、秒針が分になっています。

山田さんの活動を中心にお話をしていただきました。あくまでもデザインの活動をメインにしていらっしゃるようですが、キュレーションをおこなうなど、その活動は幅広いです。ご自身がアートに影響を受けていることを自覚し、それが今の活動にもつながっているようです。しそしてアートの世界とそうではない世界をどうつなげるか、それを、身の回りの生活の中から入っていけたらとおっしゃっていました。
また、在学中に「BACADESIGN」を立ち上げるなどの瞬発力は、学生にとっても良い刺激になったのではないでしょうか。


山田さんのHAPSでの展示はこちら。

山田さんが不定期で配信している番組です。



それでは。