2014年6月30日月曜日

芸術表象論特講#7

こんにちは。天気が不安定で、気持ちも晴れないのが続いて・・・。
6月4日におこなわれました、「芸術表象論特講」7回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、アーティストの飯山由貴さんでした。



飯山さんは本学の出身です。洋画専攻を卒業後、東京藝術大学大学院油画に進学、昨年修了されました。

2009年頃から、インターネットオークションでスクラップブックを購入し、それとの関わりから作品を作っています。すでにこの世にはいない、スクラップブックの作者の痕跡を追いかけるような、あるいは会ったことのないその作者と、ゆるい連隊を勝手に結び、しばらく生活するような感覚で制作をしているそうです。

スクラップブックとの出会いは、大学3年生の頃に偶然、古書市で1冊の古いスクラップブックを見つけたことがきっかけなんだそうです。以後、卒業制作に使用したりと集め続けて作品にしています。集め続けるには、他にも理由があります。飯山さんの家族は、幻聴や幻覚を見るそうです。彼女が昔に、マンガの「ワンピース」の架空のキャラクターになりきって、ルフィたちと冒険を繰り広げるという様子を見たとき、強いショックがあったそうです。そういった症状を持つ人は、昔だと豊臣秀吉や天皇になるという妄想が多かったけれど、今はそういう物語の妄想をする人は少なくなってきているらしい。時代に合わせて、妄想のディティールが変わってきていることが、奇妙であけれど、なんだか納得する。人間の精神は、神秘的で不可侵なイメージがあるけれど、本当はその人が生きている社会の状況や文化的影響をかなり受けていて、非常に可塑的で柔らかいものではないかと思うようになったそうです。そして、それを覗き見ることができるものがスクラップブックかもしれないと考えるようになったとのことです。

主に、昨年おこなった展覧会についてお話していただきました。

「湯気 けむり 恩賜」というタイトルでおこなわれた飯山さんの個展は、JIKKAというオルタナティブスペースで2013年の9月に開催されました。
タイトルにある「恩賜」とは、天皇や主君から物を賜る(貰うの謙譲語です)ことをいい、日本にしかない言葉であり、皇室関係で使用されます。
この展覧会のきっかけになったのは、学部の4年生のときに購入したスクラップブックに、後の昭和天皇になる皇太子や貞明皇后(大正天皇后)の新聞写真がスクラップされていたことなのだそうです。特に貞明皇后について調べてみると、ハンセン病に深い関わりを持った人物だったことがわかりました。

ハンセン病は、昔「らい(癩)病」と呼ばれていましたが、偏見や差別を生むとして「ハンセン病」と呼ぶようになりました。ハンセン病の原因は「らい菌」と呼ばれる細菌です。皮膚と末梢神経に影響が出るようです。そのため、痛みや温度感覚などの低下があるために、気づかないうちにケガをしたり火傷をしていることがあります。運動障害を伴うこともあるため、診断や治療が遅れると、主に指・手・足などに知覚マヒや変形をきたすことがあるようです。
日本では、1907年に「癩予防に関する件」という法律を制定、療養所に入所させて一般社会から隔離しました。このことで、ハンセン病は感染力が強いという間違った考えが広がり、偏見を大きくしたとされています。1931年に「癩予防法」を成立させ、強制隔離によるハンセン病絶滅政策という考えのもとに、在宅の患者も療養所へ強制的に入所させました。
ハンセン病は感染して発病することはほとんど稀であり、遺伝もしません。こうした過った政策が我が国では、長らくおこなわれてきました。
貞明皇后はハンセン病患者の支援をし、1931年に皇后の下賜金をもとに「癩予防協会」が設立されています。救済された患者もいますが、強制隔離が正当化されてしまったということや、一連の活動が皇后の真意に関わらず彼女の作った歌や、後に述べる物語がプロパガンダとして政治に利用されたという面もありました。

展示タイトルにある「湯気」は、奈良の法華寺にある「浴室(からふろ)」(現代で言えばスチームサウナ)から出る湯気です。これは光明皇后(聖武天皇の皇后)が建立したとされ、皇后がハンセン病患者の垢をこすった(または膿を口で吸い取った)ところ、その患者は仏であったという奇跡が起きたとされる伝説があります。このお寺では、毎年1回、健康やご利益ということから、浴室の体験をおこなっており、飯山さんも体験し、この浴室の湯気の映像を撮影してきたそうです。

また、「けむり」という言葉は、ハンセン病資料館で聞いたり語り部の方が話した言葉に由来していて、会場には「けむり」と「湯気」の二つの映像が並べられて展示されたそうです。

飯山さんはハンセン病患者の世界を小説や短歌の創作が盛んであるとも話しました。展覧会をきっかけに、ハンセン病患者が書いた小説を、執筆者をよく知っている方と共に読書する活動を知ったそうです。ハンセン病からの回復者の方たちが社会で生活していらっしゃいますが、日本で、新しくこの病気にかかる可能性はほとんどないとのことです。そうなると、この国でのこの病気の終わりには、その病気を経験した人たちが作った、たくさんの小説や手記、歌、詩などの制作物が残されることになるのではないか。これはとても豊なことですが、それをどう引継いでいくのか考えなくてはならないのでは、と感じているそうです。

ハンセン病の療養所へ長い期間足を運んだわけではなく、ほんの一瞬触れただけだったが、それを例に話すと、世の中にはなかなか入り込めないコミュニティがまだ他にもあり、それを外側から眺めることで発見することや失われたことが見えてくることもある、一般には忘れられた関係もあるのではないかと思っているそうです。研究や調査では聞き取りを複数して提示しなければならないし、沢山の人に聞き取り調査をすると、一人ひとりの顔や名前、人格みたいのが薄まって大きな調査になってしまう。こうしたアートという形態は、作家の思い込みや失敗も含め、ノイズの入り込む余地があり、調査報告とはまた全然違う形で提示することが出来るのではないかと飯山さんはおっしゃっていました。

1931年の「癩予防法」に関連するSPレコードと蓄音機を実際に持ってきていただきました。展覧会では来場者が来ると、このレコードを蓄音機で鳴らしていたそうです。


また、こういった制作にトライする人が増えて欲しいともおっしゃっていました。
飯山さんは、学生の頃に絵を描くことをしていたけれど、自分が描きたい絵は誰かが描いてくれているからと思い絵ではない制作をしようと思った。アートをやる面白さや意味は、自分の感情や自分の中で解決できない問題を、外側から考えることが出来る手段であるのかもしれない、例えばそれはこの場合ハンセン病であって、この国の制度や形作られた何か排他的なものが物語られている。

もうひとつ、今制作している作品のお話もしていただきました。
飯山さんの家族には、幻聴や幻覚がみえるため、病院にかかっている人がいて、調子が悪くなると話しかけたりしてもリアクションせず、ぼーっとしていたり、そのままどこかへふらっと行ってしまうことがあるそうです。
去年の冬に「自分の本当の家を探しに行く」と言って出て行こうとしたところを、引き止めていたそうですが、そのとき、いつも聞き流していた彼女の言葉が、大切なことを語っている気がして、症状が安定しているときに、実際に二人で本当の家を探しに行ってみたそうです。その記録をつくる過程で、いままで本人が家族や医者に隠していた、いま何が見えていたり聞こえているのかを話してくれたそうです。彼女が見ている世界について話してもらうと、普段は気がつかない願望や生活している感覚が、今までよりもわかった気がしたそうです。 
冒頭に出たワンピースの話からは、約10年くらい経っているのですが、今は幻聴や幻覚があるときはムーミンが声をかけてくれたり、ムーミンたちと海の神さまに会いに行ったり、難破船に遊びに行ったりしているそうです。今度おこなう展覧会では、彼女が見ている世界を再現したいと、おっしゃっていました。

これまでは、彼女の心や身体の中で何が起きているのかわからなかったけれど、歩み寄っていくと、もっと心をあかしてくれたというか、何が見えるか教えてくれるようになった。幻覚や幻聴が聞こえることの負担を、本人はときどき抱えきれなくなり、時にはこの世からいなくなることを考えさせるそうです。でも、ムーミンといるときのように、それによってやすらぎを得ることもあるらしいです。何が聞こえているかを知り、それを一緒にやってみることによって考えてみる・・・最近はそういうことをしているそうです。

1冊のスクラップブックからどんどん広がって、それをアートという方法で見せる。普通に調査して研究した成果とは違った視点の見せ方を、飯山さんは追求されているようです。そして、これからは自身の家族について向き合っている。このことはまったく違ったことのように思えますが、俯瞰してみたときに、つながりをみせるかもしれません。
飯山さんの次の作品が楽しみです。


飯山さんのHPはこちら。展示の様子も少し載っています。

それでは。


※ハンセン病はについては、国立感染症研究所感染症情報センターHPと厚生労働省のHPを参考にしています。

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