2014年10月15日水曜日

芸術表象論特講#16

こんにちは。台風が2つも続けてやって来て、驚きです。
9月24日におこなわれました、「芸術表象論特講」16回目のレクチャーについて少し報告したいと思います。
今回のゲストは、美術・映画評論家の西村智弘さんでした。



西村さんは、映像や現代美術の評論を執筆されています。最近は、アニメーションの論文を執筆されたりしているそうです。
今回のレクチャーでは、「日本におけるアニメーションの概念」というテーマでお話してくださいました。
現在では当たり前のように使っている「アニメーション」という言葉ですが、日本で使われるようになったのは、おおよそ1960年代以降からでした。では、それ以前にアニメーションがなかったのかというと、そういうことではなく、アニメーションに該当する作品は存在しました。呼び方も別の言葉を使用していたのですが、アニメーションという言葉が使われないということは、その概念がないのと同じことです。
つまり簡単に言ってしまえば、戦前と戦後では価値観が違っているということなのです。

1960年代、アニメーションという言葉が使われだしたとき、それは何を指していたのか。森卓也『アニメーション入門』(1966)では、アニメーションとはコマ撮りによって作られた映画であると規定されています。それがこの時代に定着したアニメーションの概念でした。

そもそも、アニメーションはいつからあるのでしょうか。これには2つの考え方があるそうです。
ひとつは、エミール・レイノー「テアトル・オプティーク」(フランス、1882)からとする考え方と、もうひとつはスチュワート・ブラックトン「愉快な百面相」(アメリカ、1906)からとする考え方です。エミール・レイノーからとすると、アニメーションは映画よりも早く誕生したことになります(映画は、リミュエール兄弟が1885年に発明しました)。となると、スチュワート・ブラックトンが最初という捉え方になりますが・・・。この「愉快な百面相」は1907年に日本へ「奇妙なるボールト」というタイトルで入ってきました。日本はかなり早い時期、ほとんど同時代的に欧米のアニメーションが入ってきます。
初期のアニメーションは、舞台上で実際に絵を描いていく「ライトニング・スケッチ」の延長からきており、スチュワートが実際にトーマス・エジソンの似顔絵をスケッチしている映像を見せていただきました。
「愉快な百面相」は、黒板にチョークで描いているのをコマ撮りしたものです。切り絵なども用いて、動きをつけました。
漫画絵のようなアニメーションよりも先に、実写によるアニメーションの方がさかんに公開されていました。漫画のアニメーションで日本に最初に入ってきたのは、エミール・コール「The Musical Maniacs」(フランス、1910)でした。この作品は「凸坊新画帖」というタイトルで公開されました。ちなみに、タイトルは内容と関係ないそうです。その後に公開されたC・アームストロング「Isn't Wonderful?」(アメリカ、1914)も「凸坊の新画帖」というタイトルで、漫画アニメを公開する際にこのタイトルで公開することが一般化してしまったそうです。一度話題になると、同じ名前を使ったりする発想からきているようですが、制作された国や作家が違っていても全て同じタイトルなので、区別をつけるときは、サブタイトルに例えば「悪戯小僧の巻」と入れて変化を付けていました。「凸坊」とか「新画帖」だけでも漫画アニメであるということになり、また当時は漫画と言えば喜劇ものだったので線画喜劇とも言ったそうです。
他に、人形映画というのもありました。1930年に公開されたラディスラス・スタレビッチ「魔法の時計」(フランス、1930年)は、当時評判になった人形映画です。この作家の「カメラマンの逆襲」という作品を実際に見せていただきました。ラディスラス・スタレビッチが手掛ける映像に出演しているのは虫ですが、社会風刺の作品も多かったそうです。手法としては現代で言うクレイアニメに似ている気がしました。

戦前の日本には、漫画によるアニメーションが凸坊新画帖、線画、線画トリック、線画喜劇、線画映画、漫画映画、などと呼ばれ、影絵映画、人形映画、絶対映画といったジャンルもありました。アニメーションという言葉では括られていませんが、見る側にとって何が見えているかということで分けられていたようです。そして1960年代になると、コマ撮りで制作しているものをアニメーションと見なす発想が定着します。
現在はアニメーションの概念が崩れている時代で、特に1990年代以降の技術面の向上や進歩によって広がりをみせていて、それまでの概念は通用しなくなっています。いったん崩れてしまったものが元に戻ることはなく、今後アニメーションを規定することはますます難しくなってきていると、西村さんはおっしゃっていました。そうした今は、戦前のアニメーションに対する見方を改めて注目する価値があるのではないか。技法だけで区別できなくなってきているアニメーションは、どういう風に見えているのかということ自体を問題にせざるをえなくなってきている。戦前はアニメーションの概念が確立する前であって、見る側にとってどのように見えているかが問題だった。1960年代以降は、制作技術に重点を置いてアニメーションが概念化されたが、技術の進歩により制作の幅が広がっていった90年代以降は、いったん確立されたアニメーションの概念が解体される状態になっているので、むしろ戦前に近づいているのではないかともおっしゃっていました。
結局のところ、技術面に重点を置く戦後のアニメーションの捉え方は、作り手の視点に立つものです。実際に作品を見る一般のレベルで言えば、その作品がどのように作られているかは二次的な問題であって、その作品が面白いか面白くないかの方に関心があるわけであり、どのように作られているかは気にしないのが普通のことだともおっしゃっていました。


今日、当たり前のように使っている「アニメーション」という言葉ですが、何がそうで何がそうではないということは、あまり深く考えないで言っていることに気がつきました。戦前の様々な言い方について、貴重な作例を見せていただきながら、西村さんに解説していただきました。大きく言えば映像の技術、CGの技術の進歩の目覚ましさが近年見受けられて、誰でも簡単に作れるようになってきていることは、作り手と受け手側の境界をあいまいにしているのでは・・・。美術大学で学ぶ学生としては、そういうことも考えられたのではないでしょうか。

西村さんのHPはこちら

西村さんの著作もチェックしてみてください。
『スーパー・アヴァンギャルド映像術ー個人映画からメディア・アートまで』(共著)
『日本芸術写真史ー浮世絵からデジカメまで』


それでは。

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