2015年8月25日火曜日

芸術表象論特講 #5

芸術表象論特講 #5

6月3日に行われた芸術表象論特講、今年度第5回目のゲストは映画監督の深田晃司さんです。



深田さんは、昨年公開された監督作品『ほとりの朔子』で第35回ナント三大陸映画祭の金の気球賞(グランプリ)と第17回タリン・ブラックナイト映画祭の最優秀監督賞を受賞されています。また、過去にも『ざくろ屋敷』『東京人間喜劇』『歓待』などの監督作品が国内外の様々な映画祭で評価されています。

レクチャーでは、まず『ざくろ屋敷』の予告映像を上映しながらお話して頂きました。『ざくろ屋敷』は、19世紀フランスの小説家バルザックによる「人間喜劇」というシリーズの一つである小説『柘榴屋敷(La Grenadiére)』を、70枚ものテンペラ画でアニメーション風に構成した映画作品です。深田さんは中学・高校時代は美術部だったそうで、『ざくろ屋敷』の絵と美術は当時の同級生である深澤研さんが担当されています。2007年に公開されたこの作品は、海外から予想以上の反響があったとのことで、パリのバルザック記念館(バルザックが実際に住んでいた家)に深澤さんと共に招待され講演を行い、さらに現地では上映会と原画展が開催されています。(バルザックは熱心な愛好家や研究者も多く、通訳を通してトークをされたそうですが、向こうの方からフランス語が喋れない人が記念館に招待されたのは初めてだと苦笑されたエピソードがあったそうです)


深田さんは、小さい頃から「何かものを作りたい」という意識が強く、また映画を観るのも好きで特に70年代以前の映画をよく観ていたそうです。父親が映画好きで家に何千本とVHSテープがあったことや、当時ケーブルテレビが普及し始めたこと、そして読んでいた映画評論の本への関心などから、かなりマニアックな映画も数多く観たと話されていました。しかし、当時は映画を作る側に回るということは全く考えたことがなく、大学時代に偶然映画館で映画学校のチラシを見て、初めて“自主映画”というものがあることを知ったそうです。それをきっかけに大学在学中に映画学校に通い始め、20歳ぐらいの頃から自主制作映画を作り始めたとのことで、深田さんは21歳のときに初めての作品である『椅子』という長編の自主映画を制作されています。(実はこれはかなり無茶なことだったとのことで、本来ならば初めての作品では短編・中編映画から始めるものですが、深田さんはいきなり100分の長編映画を作ったそうです。また、自主映画にありがちな自分の身近な題材だけを描かずに、老人・女子大生・少年・主婦が出てくる群像劇を作ったせいで苦労したと話されていました)2005年に深田さんは「青年団」という平田オリザ主宰の劇団の演出部に入り、現在も所属しているとのことですが、実は深田さんは演劇は一本も作ったことがなく、主に劇団青年団の俳優の方たちと映画を作っているとのことで、いわゆる商業映画とは少し違ったルートで制作されてきたそうです。


自分一人で作品をつくることが多いアーティストと比べて、演者や撮影場所など
様々な不確定の要素がある映画制作の感覚について尋ねられた際に、深田さんは
「映画監督には様々なタイプがいて、中には完璧主義者の人もいますが、
自分は『偶然をどう生かしていくか』『いかに他者と向き合うか』と考えている」
と話されていました。



かつて映画は特権的な芸術であり、フィルムやカメラも高額で人件費も含めて1本作るのに何億円と費用が掛かるため、いわば限られたプロデューサーや監督だけが映画を作ることが出来たそうです。しかし、それが8ミリフィルムの普及によって、商業映画ではない「自主映画」という映画の種類が生まれ大林宣彦などの「映画作家」と称する人も出てきました。さらに「デジタル」という革命的なものが登場したことで、極端な話をすれば今ではiPhoneひとつでも映画を作ることが出来るため、特権的な映画監督の権威が崩れるという価値観の変化が2000年代以降に起きたそうです。そうした中で、深田さんたちの世代の映画監督には「誰にでも映画が作れるようになった。では、なぜあなたは映画を作るのか?」ということが問われるようになっているため、自分の世界観やモチベーションをしっかり持って映画作りに臨むことが重要であり、海外で戦うにはそこをぶれずに備える必要があると話されていました。



さて、ここまでの深田さんのお話を聞いていると、「自分の作りたい映画を作る」いわばアーティストに近い自主映画作品をちゃんと取り上げる人がいて、結果として何かしらの賞や映画祭への招待そして評価に繋がっています。深田さん自身はラッキーだったとも仰っていますが、実際にはどのようなことを意識しているのでしょうか?

深田さんによる2008年の映画作品『東京人間喜劇』は劇団青年団から助成金を貰い、半分自主映画のような感じで制作したとのことで、この作品はミニシアターではなく、劇団青年団が公演をする劇場にプロジェクターとスクリーンを設置してロードショーを行ったそうです。その際にユニジャパン(UNIJAPAN)という日本の映画・映像の海外展開の支援を行なっている組織の方を招待した結果、英語字幕を付けることを条件にライブラリに収蔵してもらい、そこから海外の映画祭のキュレーターの目に止まり、ローマ国際映画祭への招待に繋がったと話されていました。

自主映画を制作している人の中には、残念ながら作ることだけで満足してしまい、「それをどうやって観せるか」「いかに継続して創作活動を続けていくか」ということに意識が向いていない人も多いそうです。この点について、深田さんは演劇との関わりが大きかったと仰っています。劇団青年団に所属している関係で、若い劇団員や劇作家から色々話を聞いていると、劇団はある種、零細企業のようなもので、劇団員を抱えながらコンスタントに公演を行うために、戯曲を書いて小屋を抑え、宣伝をして観客を呼ばなければならない。その際に劇評家などにきちんと観てもらい、批評を書いてもらうことで次の公演に繋げる。こうした、いわば零細企業のような「継続するための意識」が劇団の人は非常に高く、深田さんも刺激を受けたと話されていました。



レクチャーの後半では、日本と海外の助成金制度の違いについてのお話を伺いました。深田さん自身も20代の初めに現場を体験してみようと、撮影スタッフとして早朝から深夜まで働き続ける過酷な労働環境を経験しており、こうした日本の映画業界の実態や助成金制度の問題、またそれに代わる寄付税制の提案などについて、ウェブサイト「映画芸術」にて『映画と労働を考える』というテキストを寄稿されています。

深田さんは日本よりもむしろ海外での上映が多いとのことで、海外の映画関係者と話をすると、彼らは自分の作りたいものを作るために必要な資金を集め、助成金にアクセスするためにはどうすればいいかきちんと意識をしているそうです。また、日本では自分の作りたいものを衝動的に数十万〜1000万円の予算で小規模に作ってしまうため、国際的な流れの中では日本の作家はかなり損をしてしまっている。そして20代の人に多くみられる、予算の少なさから自分の身近な人に手伝って貰うことは、いわば自分の持っている人間関係を消費しながら映画を作っているようなものであり、長くは続かない。と話されています。東南アジアやヨーロッパの映画監督は1本目の作品から1千万や2千万の予算を集めて制作する例もあり、また海外の国際映画祭やフランスなどの国では、外国人も対象にした新人監督に対する助成金が設けられており、そうしたことを日本の映画学校でもしっかり教えていく必要性を話されていました。


学生からの質問に答える深田さん


今回のレクチャーでは、この他にも関連した様々なお話をして頂きました。自身の作品についてだけではなく、深田さん自らの経験を通じて、学生がアーティストや美術家、あるいはキュレーターや研究者などとして社会に出て活動をする上で、必ず相対することになる予算・資金集めという現実的な壁や、映画業界だけに限らず芸術分野全体に共通する助成金制度などの社会的な問題について、深く考えさせられる内容でした。良い作品を制作することだけではなく、それを発表する上でどのように展開し次へ繋げていく、自由な制作を継続するための意識は、大学でも教えることが難しい大切なことだと思います。


深田さんの映画作品の公式サイトはこちらになります。

『東京人間喜劇』 http://human-comedy-in-tokyo.com/
『ざくろ屋敷』  http://lagrenadiere.jp/
『ほとりの朔子』 http://sakukofilm.com/

ウェブサイト「映画芸術」で連載された『映画と労働を考える』はこちらで読むことが出来ます。
http://eigageijutsu.com/article/141898866.html

「多様な映画のために。映画行政に関するいくつかの問い掛け」
http://eiganabe.net/diversity