2015年10月23日金曜日

女子美祭2015 開催中です!

みなさんこんにちは!

女子美祭が今年も始まりました。
本日23日(金)から25日(日)まで、3日間に渡り開催しています。
芸術表象専攻では、12号館1214教室にて、3年生を中心に企画されたワークショップが行われています。

今回のタイトルは「彩り☆ノーズ」〜においに色を塗るワークショップ〜
どこで開催しているのか、どのような内容なのか?
少しだけみなさんにご紹介させて頂きたいと思います。


12号館の入り口はこちらです。
野外ステージ正面から向かい側に建物があります。



12号館に入り、1階をそのまま進んで行くと会場の1214教室があります。
さっそく順番待ちが出来ていますね。



ワークショップ受付です。

「におい」から想像した色で、手渡された紙を彩ってみて下さい。
と受付の学生が説明してくれます。
パレットに絵の具を出してから、会場にたくさん置かれた小瓶の匂いを嗅いでみましょう。



見学に訪れている付属生の方たちがワークショップを体験しています。
「えーっ!これ何のにおい!?」と、楽しそうな声が上がっていました。

普段は当たり前に感じている匂いは、視覚なしではどう感じるのでしょうか?
またそこから思い浮かぶ色彩とは一体どんなものなのでしょうか?

会場の奥には解答コーナーも設置されています。
興味がある方は是非ワークショップを体験してみて下さい。


女子美祭では、他にもさまざまな専攻の展示や有志による展覧会をはじめ
フリーマーケットやトークショーなどイベント・企画が盛り沢山です!
10月23日〜25日まで3日間開催していますので、みなさんも是非いらしてみて下さい。






2015年10月13日火曜日

芸術表象論特講 #9

7月1日におこなわれた「芸術表象論特講 #9」 今回のゲストは彫刻家の青木野枝さんです。




青木さんは鉄を用いた彫刻作品が有名ですが、版画作品や石膏を用いた作品なども制作されており、近年では2012年に豊田市美術館・名古屋市美術館での個展「ふりそそぐものたち」やギャラリーでの個展のほか、越後妻有アートトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭、あいちトリエンナーレなど国際芸術祭にも出品され、作品を実際に目にしている学生の方も数多いと思います。今回のレクチャーでは作品や展覧会の解説だけでなく、工房や制作現場、搬入や現地での作品の組み立ての様子など、アーティストとして多岐にわたる活動についてお話していただきました。


右側の建物が青木さんのスタジオ
近くには川が流れているそうで、中央には大きなスモモの樹が写っています。
スタジオ内の様子
左下に写っているのはバッテリー溶接機で美術館などでも使用するそうです。
青木さんは、大学院を出た頃から埼玉県飯能市の自然豊かな場所にスタジオを借りており、30年以上そこで制作をされています。高さが最大3m、一棟の面積が約70坪あるスタジオは鶏舎の造りのため壁が網になっており、冬はマイナス7℃  夏は42℃にもなるそうです。上は作品を置いておく倉庫になっていて、彫刻をやる人は制作だけでなく作品を保管する場所についても大変だと話されていました。



材料に使われるコールテン鋼(耐候性鋼)の鉄板
床は溶断・溶接作業で燃えないようにコンクリートが敷かれています。
青木さんが溶断をしている様子
なるべく無駄なく多くのパーツが取れるように同心円で切っているそうです。
材料の鉄板は予め切り分けられたものではなく、ゴトウ板(5×10)という3m × 1.5mの大きさのコールテン鋼をそのまま買っているそうです。これは1枚の重さが500kgもあり、しかも一度に10トンを鉄鋼メーカーから直に購入し、ユニック車(クレーン付きトラック)でスタジオまで運んでいるとのことです。

この鉄板をアセチレンと酸素の混合ガスを用いた溶断機で切っていくことで、青木さんの作品のパーツが作られていきます。最近はアシスタントの方が1人付いてくれているそうですが、鉄板を切るのはドローイングと同じように「線を描き、その上を切る」という作業なので、他人では線が変わってしまうため青木さん自身が全て行っています。溶断作業は1日10時間近く延々とおこなうそうで、非常に根気と労力がいる作業だということが伝わってきます。

天井の梁にチェーンブロックを掛けて溶接をおこなっている様子
溶断した鉄板は、電気溶接で接合させていきます。上の写真は天井の梁にチェーンブロックを掛けて溶接作業をおこなっているところで、この作品の場合、6つの球を繋げたものを1つのパーツとして6〜8セット輸送し、更にそれらを現地で溶接して設置されています。日本の電源電圧は100Vですが、海外は電圧が200Vの国が多く、その場合小さな溶接機で作業ができるそうです。

現地のスイス・チューリッヒの美術館にて梱包を解かれる作品
オランダの方まで船便で送り、さらにそこから陸路で運ばれたそうです。
ハウス・コンストルクティヴ美術館の階段に設置された作品
写真(左)が階段の一番上から、写真(右)が一番下から見上げた様子です。
また、この作品が出品されたグループ展「ロジカル・エモーション-日本現代美術展」は、直前に巡回が決まったため、現地で作品を解体し、リサイクルしてドイツの工場で別の作品を制作されたそうです。現地の美術館のスタッフの方と協力して設置作業をする様子も色々解説して頂きながら、青木さんは自分の作品は設置するのが大変だと話されていました。



大学院修了作品 (神奈川県民ホールでのグループ展)
この頃は売っている丸鋼などを用いて制作をされていたそうです。
続けて、レクチャーは青木さんのこれまでの作品と展覧会の解説に移っていきます。上の写真は、青木さんが大学院を修了される際の作品です。この頃は建築のようなもの・タワーに興味があったそうで「自分にとって彫刻は決して固まりではなくて、風が通るようなもので、なおかつこの間を人が歩けるようなものが私にとって作りたいもの」と話されていました。当時、タワーというのは建築なのだけれど人が住まない象徴的なものであり、例えば仏舎利塔のように、本当に小さなもののために「それがそこにある」という表れの感じがすごくいいなあ、と考えて制作されていたそうです。




1992年の作品。手前に写っている白い卵は細い銅線で十字に縛ってあり、
クリスマスツリーに飾りを付けていくような感じで設置されていったそうです。
1992年に制作されたこの作品には、本物の鶏の生卵が使われています。青木さんはずっと食べ物を使ってみたいと思っていたと話されており、例えば日本では節分に鰯と柊を戸口に置いて鬼除けにするが、アフリカにもそういった風習があるなど、食べ物と自分の作品を一緒に出来ないかと考えていたそうです。

この作品は、2012年の豊田市美術館・名古屋市美術館での個展などにも出品されており、卵の数や設置する位置などが毎回異なっているとのことです。また、作品の解説と合わせて青木さんが「なぜ鉄をやっているか」ということについてのお話が興味深い内容でした。アルミやステンレスは熱や火を加えても銀色のままですが、鉄というのは溶断機を使うと、段々太陽のようにオレンジ色に輝いてくるそうです。さらにもっと温度が上がると白色に白熱していき、それが冷えていくのを見てると、真ん中に光が残るため、自分にとって半透明に見えると話されていました。作品で使われている卵も、光にかざすと中に世界が少しだけ透けて見えるため、青木さんにとって鉄と卵は似ているという思いがあるそうです。



こちらは1995年に大阪の国立国際美術館で展示された作品です。直径3mの円は分割して搬入し、高さ2m50cmの上に伸びる棒は会場で溶接をされています。エピソードとして、公や国立美術館の中で溶接をしたのはおそらく青木さんが初めてだったそうです。それまでは美術館の中で溶接をするなど信じられなかった時代だったとのことで、当時強力なバッテリー式の溶接機が出たこともあり、そのままでは運ぶのが難しい大きな作品をパーツに分けて現地で溶接する手法を初めてとった展示だと話されていました。



2006年の越後妻有トリエンナーレでの作品
小学校跡のプールに作品を設置されており、田んぼの水が中へ引かれています。
越後妻有アートトリエンナーレでは、2003年から毎回参加されており、白羽毛(しらはけ)、そして西田尻という集落で作品を制作されています。冬には3〜4mもの豪雪が積り、過疎地域でもあるため、周りにはおじいさんが一人で住んでいる集落などもあるそうです。制作の許可をもらうために、長老たちが集まる集落センターへお酒と最中を持ってお願いに行った際には、長い沈黙の後にようやく一人の方が「やらせてあげようよ」と言ってくれたとのことで、時間を掛けながら徐々に地域の人たちと打ち解けていき、現在では親戚同様の関係になっているそうです。

青木さんは、それまで地方の美術館などへ行くことはあっても、こうした集落へ訪れたことがなく、「日本はすごい過疎なんだな」と初めて実感したそうです。また、越後妻有はその後各地で開催されるトリエンナーレや芸術祭へと繋がる発端になったこと、美術館や画廊に来る限られた人ではなく、一般の人が見に来てくれるようになったことなどのお話しを交えながら、日本の美術史の中でも一つの転換期だと思うと述べられていました。



レクチャーではこの他にも、名古屋市美術館・豊田市美術館や大原美術館有隣荘での個展、アートプログラム青梅、瀬戸内国際芸術祭などについても作品のスライドと共にお話して頂きました。紹介したい内容はまだ沢山あるのですが、最後に特に個人的に印象に残った青木さんのワークショップについてのお話を簡単に紹介したいと思います。
2013年のむつ養護学校でのワークショップの様子
実際に子供たちが作った作品の写真も見せて頂きました。
青木さんは子供たちとのワークショップをよく行われており、初めは子供に鉄をやらせるのは如何なものかという話もあったそうですが、火傷をしてもいいじゃないということで始められたそうです。鉄の場合は子供たちが絵画などのように上手下手の先入観で恥ずかしがらずに取り組んでくれるとのことです。

鉄を切ったりすることは普通の人は「できない」と思っていますが、それが「できる」ということは、その技術が自由選択の一つの「道」として、子供たちの選択肢が広がるのではないかと考えられているそうです。また、子供たちも幸せな時ばかりではなく、いじめにあったり等色々なことがある中で、テレビゲームもいいし読書でもいいのだけれど、子供が彫刻をつくること、あるいは何かをつくることで「一人でも大丈夫だよ」というメッセージになればいいなと思っているとお話されていました。


今回のレクチャーでは、履修している学生以外にも立体系の先生や学生が聴講しに来ている姿も見られました。青木さんの作品や展覧会についてのお話だけでなく、スタジオ内部、制作の工程、搬入や設置の様子など、僕たちが普段見る美術館や会場に展示されている作品の姿以外の部分についても解説して頂いています。1枚500kg以上ある鉄板に線を描き溶断する所からの制作作業をはじめ、作品を保管するスペース、経済的な問題など、お話を聞いているだけでも途方もなく大変なことだと伝わってきます。しかし、そうしたお話の中で青木さんが仰っていた「わたしにとって彫刻をつくることは『この世界で自分の居場所をつくること』」という言葉はとても心に響きました。

今年の大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレでも、白羽毛にて青木さんが制作された作品が展示されています。
みなさんもぜひ現地でご覧になってみて下さい。