2015年11月30日月曜日

芸術表象論特講 #10


芸術表象論特講 第10回のゲストは演劇批評・編集者の藤原ちからさんです。



 藤原さんは2011年からBricolaQを主宰されており、劇評をはじめとした様々な分野への執筆や、フリーランスの編集者としてカルチャー誌や書籍に携わるなど、演劇を軸としながら非常に幅広い活動をされています。また、最近では本牧アートプロジェクト2015のプログラムディレクター、アジア舞台芸術祭APAFアートキャンプ2015のキャプテンも務められています。


 今回のレクチャーでは、藤原さんが2014年から行われている遊歩型ツアープロジェクト『演劇クエスト』の"マニラ夢の迷宮編"を中心にお話をして頂きました。さて、演劇クエストとは一体どのようなプロジェクトなのでしょうか。藤原さんのBricolaQウェブサイトには以下のように記されています。
「冒険の書」に記された選択肢を手がかりに、広範なフィールド内を自由に移動する遊歩型ツアープロジェクト。参加者は迷子のようにさまよい、人々の夢や生活やエートス、都市の歴史、亡霊のような言葉、土地の精霊……などに遭遇します。
▼演劇クエストとは? - BricolaQ より

 演劇クエストで用いられる「冒険の書」は、パラグラフとして小説や詩・エッセイなどから様々な引用が使われており、参加者はかつてのゲームブックのようにパラグラフの選択肢を幾度となく選びながらマップと文章を手掛かりにフィールドを彷徨って行きます。演劇クエストの最初のバージョンは、ヴァルター・ベンヤミンにより19世紀の近代都市パリをテーマに書かれた『パサージュ論』からインスパイアを得たそうです。(パサージュとは、現在でいうアーケードのような商店街を兼ねた歩行者用通路。ガラス製の屋根や大理石、モザイクタイルによる舗装など豪華な装飾がされ、両側の店舗に並ぶ様々な商品を眺めながら当時の入り組んだパリの街を雨風や馬車を気にせず歩くことが出来た。)19世紀のパリでは、街をぶらぶら歩き何かを見出そうとする人々が現れ、彼らはベンヤミンにより「遊歩者」という言葉で論じられています。この「観光ではなく、遊歩する」ということが藤原さんにとって大きなテーマになったとのことで、第一回の冒険の書にはベンヤミンからの引用も多く出て来るそうです。

これまで開催された演劇クエストの一部は、参加者による「冒険の記録」がアーカイヴされており、こちらのサイト『演劇クエスト・冒険の記録』で閲覧することが出来ます。シナリオに沿って進みつつ引き起こされる参加者それぞれの感情、つぶやき、記憶、思い出などは、実際に参加したことがなくとも心惹かれる内容で、おもわず読み耽ってしまいます。興味がある方は是非読んでみて下さい。



 演劇クエストはこれまでに「京急文月編」「本牧ブルース編」「港のファンタジー編」「横浜トワイライト編」が開催されており、今回のレクチャーで解説して頂いた"マニラ夢の迷宮編"は、今年の5月にフィリピン・マニラでの「KARNABAL Festival 2015」にて、ワークインプログレスとして発表されています。藤原さんは、演劇クエスト初の海外進出となるマニラでの開催にあたり、2週間以上現地でリサーチをされたとのことで、レクチャーの冒頭では、まずフィリピンの首都マニラがどのような街で、どのようなことが起きているかということについて、雰囲気だけでも共通認識として得るために、藤原さんが本日のために編集をして下さったという映像を見せて頂きました。




藤原さんたちが参加した「KARNABAL Festival」は3年計画のフェスティバルで、今年がその1年目という始まったばかりのプロジェクトです。"Performance and Social Innovation"というスローガンにあるように、単に演劇やパフォーマンスを劇場で上演するだけでなく、参加型、祝祭型など様々な形態のプログラムが開催されているそうです。(BricoraQの「マニラ滞在記」には藤原さんが現地で鑑賞・体験したプログラムについても述べられており、こちらもぜひ一読をおすすめします。)また、「KARNABAL Festival」はJapan Foundation(国際交流基金)からの助成を受けており、2020年の東京オリンピックを控えて、現在様々な文化予算が出ているものの、オリンピック以後にそうした助成が削減される可能性も考慮しなければならず、現在の状況は残り5年という時限付きのチャンスとも言えるというお話もありました。


 メイン会場は二つあり、ひとつはフィリピン大学の敷地内にあるヴァルガス美術館、もうひとつは民間のパペット・ミュジオ(Teatro Papet Museo)という人形の展示などもおこなっている人形劇の劇場だそうです。特徴的なエピソードとして、現地では開演時間が押すこともよくあるそうですが、藤原さんが観劇した日は終演時間も延びて深夜12時頃まで騒いでおり、さすがに地域の警官が静かにするようにと注意に来た際に、関係者が息子の知り合いだと分かると「じゃあいいや」となってしまったそうです。藤原さんは、これは良くない所でもあり政治の汚職と紙一重の部分もあるが、システムで動くのではなく、人と人の直接の距離感で動いているように感じられたと話されています。

本来、演劇クエストは「冒険の書」を手に参加者が一人一人歩くというプロジェクトですが、今回のマニラではそれが難しく、映像という形式で発表されています。その理由として、一つは治安がかなり悪く一人では危険があること、そしてもう一つは、マニラの人は普段から地図を使う習慣がなく、日常的に俯瞰で自分の位置を確認することがないと話されていました。例えばタクシーに乗った際も、運転手はまず大体の場所まで行き、そこから通行人に尋ねながら目的地まで辿り着くそうです。

藤原さんが発表したワークインプログレスは、現地のアーティストと組んでディスカッションなどを重ねた結果を、15分間の映像(パワーポイント)で制作し、その操作を舞台上でおこなうというパフォーマンスをされています。映像をパフォーマンスの中に取り入れる手法は、日本でもわりと最近使われているそうで、日本語と英語のインストラクション(指示文章)を交えながら進んで行くこの映像は、YouTubeでも公開されており、こちらから観ることが出来ます。
ENGEKI QUEST in Manila Dream Labyrinth」(YouTube)


「マニラ・夢の迷宮編」からのスクリーンショット(4分割)
マニラの人が地図を普段使わないことについても触れられています。
会場にいた現地の人たちは果たして何番に挙手をしたのでしょうか?
映像や写真が流れていくだけではなく、演劇クエストで使われる「冒険の書」のような
インストラクションやパラグラフの引用などが織り交ぜられており、観るというより参加をしながら
演劇クエストを少しだけ疑似体験しているような感覚になります。

この発表(パフォーマンス)をした際、現地では会場からの反響も良く手応えを感じられたそうです。印象的だったのは、藤原さんは演劇批評をしてることもあって、「"パフォーマンスと客席の関係" についても気になっている」と述べられており、レクチャー中にも「こうして喋っているのはライブ感はあるのだけど、研ぎ澄まされていない感覚が自分の中にはある。一方で文字にすると、他に言いたいことがあるのだけれど、1行に納めるということがひとつの効果を生み出すと感じている」と話されています。また、リサーチ期間を含め、計19日間マニラに滞在されている中で、毎日アーティストたちとディスカッションを重ねていると、最後の方は、現地の人に合わせて英語で喋らなければならないことに一種のストレスを感じていたそうで、こうした文字によるやり方は「一言も喋らずに、けれどもコミュニケーションを取る意思を示せる」とも仰っていました。


 今回のレクチャーでは、この他にも藤原さんが、京都の劇団『地点』の公演に帯同し中国・北京に滞在した際のお話や、韓国で「災害後の演劇」について現地の批評家・演出家と対話をした際のお話など、様々な内容についてお話して頂きました。演劇クエストは、聴講生にとって自分たちが普段制作や研究をしている美術・アートとはかなり異なる形態のプロジェクトであり、なおかつ近年各地で開催されている国際芸術祭などで、街や地域に設置された作品を観て回るような鑑賞の仕方とも異なる「遊歩」という、ある種形容し難いような魅力を持ったものだということが、藤原さんのお話から伝わって来ました。


藤原さんによるBricolaQはこちらになります。
http://bricolaq.com/
今年10月には兵庫県城崎町にて「演劇クエスト 天下無敵の城崎温泉編」が開催されており、今回の記事では紹介出来なかった色々なコンテンツが掲載されています。

また、藤原さんがプログラムディレクターを務める「本牧アートプロジェクト」は
12月12日(土)・13日(日)に、横浜・本牧エリア一帯で開催されます。
こちらもぜひご覧になってみて下さい。
http://honmoku-art.jp/2015/





2015年11月13日金曜日

芸術表象論特講 #8

6月24日に行われた芸術表象論特講、今回のゲストはアーティストの中上清さんです。



1970年代から画家として活動されている中上さんは、横浜や東京を中心に毎年個展をおこなっており、2008年には神奈川県近代美術館(鎌倉)にて回顧展「絵画から湧く光」を開催されています。また第10回インド・トリエンナーレをはじめ、パリ、ニューヨーク、ソウル、ベルギーなど国外でも活躍されています。そして、1995年に日本画専門の美術館である山種美術館にて開催された「今日の日本画 第13回山種美術館賞展」では、カンヴァスにアクリル絵具で描く中上さんの作品が推薦されており、日本画という枠組みを巡り当時の議論に影響を与えたことでも有名です。

「自分はあまり人に教えたことがなく、また教えられたこともあまりないので...」と冗談を交えながら始まったレクチャーでは、中上さんが初めて個展を開いた頃から近年に至るまで、40年にも及ぶ作品の流れや変遷について解説して頂きました。


中上さんは高校卒業後、1971年から横浜のBゼミ(現代美術ベーシック・ゼミナール)に通われており、その年の10月に富士見町アトリエにて初個展「中上清−−12の平面による−−」を開催し、作家としてデビューされています。

中上さんがデビューした次の年の展示風景 (1972年)
この最初の立体作品シリーズは、翌年に横浜市民ギャラリーで開かれた「EXHIBITION Bゼミ」にも継続されています。台形や三角形と枠のように伸びている部分は、元々およそ30㎝×90㎝の長方形であり、それを45°の角度で10㎝ずつ切り出して展開させているとのことです。









壁面に沿って掛けられた三角形の作品(1974年)
1974年のこの作品は、正方形を45°で斜めに切った形を反対に持ってきてあり、外形が内で繰り返すように構成されています。この頃は「面」というものは描くものなのか?置くものなのか?それとも作るものなのか?という意識があったと話されており、この作品は画面の中に「置く」意識の方が強くあったそうで、アルミパウダーを用いてシルクスクリーンで刷ったものが置かれていて、米国の作家フランク・ステラへの意識もあったと話されていました。



その後に中上さんは、斜めの線を繰り返し描いたドローイング作品を制作されています。1975年の横長の大きなドローイングは、アクリル板の裏側からダーマト(グリースペンシル)で描かれており、フレームとの関係を意識されています。
ドローイングのシリーズのひとつ
裏側から線を描く作品は、右利きのため画面を縦横90°回転させて描いたそうです。
北澤先生からの補足によると、1975年という時代は「トランスアヴァンギャルディア」というアヴァンギャルドを否定して絵画や彫刻という歴史的なメディアを、そして人間の身体性を取り戻そうとする動きが出て来た頃であり、この辺りから世の中に「描く」というか「絵画」が前面に出て来たそうです。




カンヴァスに斜めの角度が付いた1979年の作品
神奈川県近代美術館での回顧展にも展示されています。
カンヴァスの側面も塗られており絵画の平面性や空間についても考えされられます。
1979年のこの作品は、カンヴァスを斜めに傾けて置かれ、そこに垂直線と水平線が引いてあり、そして更にそこから得られる幾つかの線が描かれています。当時なぜこのようなことをしていたかの理由として、中上さんは「ドローイングの作品もそうだったけれど、カンヴァスの中に形が描けなかったんだよね。作ることが中々出来なくて、端から追う。そういうようなことしか出来なかった。」と話されています。


色彩や構図が特徴的な1980年の作品
この構成は以前から試みていたそうです。

その後、中上さんは画面を三分割した特徴的な構図のシリーズを継続して制作されています。この作品は隣同士が補色になるように色が選ばれており、60年代から70年代前半にあった「もの派」などの禁欲的な流れを引き継ぎながらどうやって色を復権させていくか、という当時の実験的な時代背景との関係性も興味深いお話でした。このシリーズは以降構図の一部に円や曲線が加えられていきます。






画面中央に金色が大きく使われている1983年の作品
この辺りの作品はみんなメタリックが使われているとのことです。

1983年に中上さんはアメリカに行かれており、その頃の作品では画面に大きくメタリックカラーが用いられています。以前はマチエールを否定されていたそうですが、アメリカから帰国後に描くようになったと話されていました。また、このメタリックカラーは作品の構成や手法の変化を伴いながら今日まで使い続けられています。








1986年に入ると、箔のようなマチエールが表れています。これはローラーで金の絵具を塗っているとのことで、本来ならばムラを付けないためのローラーであえてムラを出していると解説されていました。この年に制作された作品は、2004年に開催された東京国立近代美術館での「琳派 RIMPA」展に出品されています。レクチャーでの印象的なエピソードとしては、尾形光琳の紅白梅図屏風の「金箔」問題と関連した話が興味深いものでした。(2002年の調査では金箔ではなく、金泥を筆で箔のように描いていると鑑定され話題になっていましたが、2010年に再調査したところやはり金箔を使っていたという結果が報告されており現在も議論されています。)




また、この頃(実際にはこの2年前からとのこと)の作品には、額縁を横にして一辺だけ付けたような桟が付けられています。北澤先生との話によると、カンヴァスの側面部分を塗ることと同様に、絵画に物体性を与えるということ、人間の身体性の痕跡をなるべく残さない。絵画への危機感におそらく関与しているということです。












その後、年々変化していく作品の解説を交えながらレクチャーは進んでいきました。
1997年にソウルの国立現代美術館にて開催された「日本現代美術展」に出品された作品では、正方形や菱形の箔足は無くなり、新たな印象を感じさせられます。上方に伸びる金色の絵具は、筆もローラーも使わず、風を当てて描いているとのことで、材料を変えたことによる鱗状のマチエールも特徴的です。






さて、ブログの都合上紹介出来る内容も残り少なくなってきました。こちらはレクチャーの最後に解説して頂いた2015年の作品です。中上さんは「光」について尋ねられた際に、絵画について「光と空間」があれば絵画は成立するだろうと自分の中で考えているとお話されています。また、昔の若い頃は実験のようなことをやっていたが、途中からどこかで中学生や小学生の頃に「ああ、絵描きになりたいなあ」と考えていたところへ少しずつ戻っていくような思いがあるとも述べられていたのが、この作品と解説と重なるようでとても印象的でした。



 今回の芸術表象論特講は、中上清さんという一人の作家による40年にも及ぶ作品の数々を90分の中に詰め込んだ非常に濃厚な内容でした。特に、当時の美術動向の時代背景を補足しながら、中上さんが作家として活動を始められた20代の頃の作品から解説して頂いたことは、聴講生にとって貴重な機会であったと思います。個人的には、中上さんの作品が少しずつ展開していくことについて話されていた中で「一遍にすべてを捨てるわけにはいかない」という言葉が、人間の成長や歩みを表しているようで、とても心に響きました。

中上さんが2008年に神奈川県近代美術館にておこなった個展「絵画から湧く光」の展覧会カタログは、本学図書館にも所蔵があります。また、毎年おこなわれるギャラリーでの個展のほか、各地の美術館への出品、東京国立近代美術館への収蔵もされていますので、ぜひ作品をご覧になってみてください。